エルヴィス・プレスリー
エルヴィスのメジャーデビューは1956年、しかしながらその2年前の1954年のテネシー州メンフィスのローカルレコード会社「サン・レコード」での録音が非常に重要な意味を持っています。当時サン・レコードのオーナー(サム・フィリップス)は、黒人音楽(レイス・ミュージックと差別的に呼ばれていた)の魅力を表現できる白人、例えて言うならば黒人のように歌える白人歌手を求めており、エルヴィスにそのチャンスが巡ってきたのです。
その時のセッションの休憩時間にエルヴィスが即興で歌ったのが黒人R&Bシンガーであるビッグ・ジョー・クルーダップの「ザッツ・オールライト・ママ」でした。サム・フィリップスは手ごたえを感じたので、早速録音し、地元のラジオ局を使ってこの曲を流したところリクエストが殺到し、成功を確信したようです。 ーアメリカン・ミュージック・ヒストリー第1章 That's All Right(原曲)
https://www.youtube.com/watch?v=uxHQUvCkV20&ab_channel=ElvisOriginals
プレスリー版
https://www.youtube.com/watch?v=NmopYuF4BzY&ab_channel=V.A.HOSS
アメリカ音楽史のみならず世界のポピュラー音楽の歴史を白人文化と黒人文化の混淆という図式でとらえるならば、その結節点の一つは間違いなくエルヴィス・プレスリーのパフォーマンスにある。中世ヨーロッパにまでさかのぼるバラッドの伝統とアフリカや南米大陸経由でもたらされた黒人文化の系譜。この二つの文化の融合を象徴するのがエルヴィスであり、彼が背負うことになった音楽史、文化史の重みに比べれば、ビートルズやローリング・ストーンズのメンバーは音楽センスに恵まれた青年たちに過ぎない。 A面が決まったところでB面作りとなりましたが、ここでも歴史に残るバージョンが誕生します。ヒルビリー(カントリー)音楽の中でも50年代に入り、人気の高かったジャンルに「ブルーグラス・ミュージック」がありました。このブルーグラスはケンタッキー州出身のビル・モンローが完成させた音楽(楽器の技術面の難易度が高く即興性もあることからカントリー界のジャズとも呼ばれる音楽)ですが、その中のワルツ曲でヒットした「ブルームーン・オブ・ケンタッキー」をエルヴィスの感性で全く新しい音楽にしてしまいました。この時のこの瞬間に黒人音楽のR&B(実際には、ロックン・ロール)と白人音楽のヒルビリー(カントリー)が融合し「ロカビリー」と言う音楽が出来上がった訳です。こうして、最強のA/B面のシングル盤が完成しアメリカ音楽の大きな転換点となりました。 ーアメリカン・ミュージック・ヒストリー第1章 ブルームーン・オブ・ケンタッキー
https://www.youtube.com/watch?v=JAVFpThoeb4&ab_channel=MrHellvis69
プレスリー版
https://www.youtube.com/watch?v=QLb99I86pE4&ab_channel=aleobel
first album
https://www.youtube.com/watch?v=vbcMH7KCKCA&list=PLvDaQTRzMiRr2GcFF6Gq_yVpK2BVHNl31&index=6&ab_channel=KingOfTheWholeWideWorld