「明白な運命」ーアメリカ膨張主義の文脈
表現の起源
「明白な運命」(Manifest Destiny)という言葉の起源
最初に使用されたのは1845年『デモクラット・レヴュー』誌といわれる
ジョン・L・オ・サリヴァン
年々増加していく何百万ものわが国民の自由な発展のために、神によって与えられたこの大陸にわれわれが拡大するという明白な運命 ー「テキサス併合論」
テキサス併合という争点をめぐっての国内論争において、併合の正当化の論理として使用されたものである
テキサス地方は本来スペイン領
1821年スペインからメキシコが独立した後はメキシコ領
合衆国南部からのアメリカ人移住者が増える
1836年にテキサスはメキシコから独立し、テキサス共和菊を形成、合衆国政府はこれを承認
テキサス併合論がテキサス内部からも起こり、大きな争点となってきた
奴隷州の増大を意味する
奴隷制プランターの全国的ヘゲモニーの確保が強固になる
奴隷制廃止論者、東北部産業資本(奴隷制プランターとの対立が顕在化)、西部農民(土地の奪い合いで奴隷制プランターと対立)の反対
1844年4月にテキサスとの併合条約が調印
上院出席議員の2/3の同意票は得ることができなかった
オレゴン領有の動き
イギリスとアメリカの共同領地だった
毛皮職人が進出
一般移住者の進出
アメリカの単独領有が主張されるようになる
1845年12月、『モーニング・ニューズ』誌
われわれにゆだねられている自由と邦制自治という偉大な実験を発展せしめるために、神がわれわれに与えたもうたこの全大陸に拡大し、それを所有するという明白な運命
R・C・ウィンスロップ
この全大陸に拡大すべきわが明白な運命という権利
批判的な文脈ではあったが、言葉として定着することになった
アメリカの膨張主義的傾向
ジェイムズ・K・ポークの当選
オレゴン領有、テキサス併合を主張する民主党候補
ここから、アメリカ政界・言論界の支配的ムード
1945年2月にテキサス併合が承認される(上院27-25, 下院132-76)、12月にテキサスは正式に併合
1946年4月にオレゴン領有の決議が可決(上院42-10, 下院142-46)、北緯49度線以南をアメリカが領有する条約が結ばれる。6月に41-14で上院に同意された
マニフェスト・デステニー発祥のまとめ
45年、46年の争点であったテキサス併合、オレゴン領有をめぐって主張される
46~48年にかけての対メキシコ戦争、その結果に伴うカリフォルニア含む広大な領土獲得をめぐって使用
南部プランターや北西部農民などの特定の利益層に限らなかった
この表現に内在する思想は、広くアメリカ国民の自己像と世界像とに深くかかわりを持つものである
党派的にも、はじめは民主党が主張→共和党が使いはじめる
19世紀末のハワイ併合、フィリピン領有時
明白な運命という発想、論理自体は表現の出てきた時点以前・以後にも存在
広くアメリカの膨張主義の正当化の論理
マニフェスト・デステニーの論理構造
ヨーロッパとの隔絶の感覚
アメリカ文明・体制の特殊性の意識
アメリカ大陸、そして太平洋、アジアへの拡大の論理
アメリカ文明・体制の普遍性の意識
隔絶と拡大、特殊性と普遍性という一見矛盾した論理を媒介した、体制の論理である
隔絶・排除の論理
ルイス・ハーツ
メシアニズムはその孤立主義の裏返しなのである
諸植民地創設の発想、アメリカ独立革命
アメリカの植民地化
他の植民地建設とは異なる
本国体制の外延的拡大(これは他の植民地もそうである)
本国体制の拒否
本国体制からの逃避
「ピューリタン植民地」
ヨーロッパ文明を担ってきたものであるとともに、それを否定するもの
イギリス的な制度・思考様式を搬入しつつ、それを克服
アメリカの自然の中で特殊アメリカ的なものを築こうとした
ピューリタニズム
政治制度・生活様式・風習
ヨーロッパとの違いが意識され、特殊性が意識されていた
フランクリンもヨーロッパとアメリカの対比としてとらえる
独立革命
政治的にイギリス帝国から分離することで、思想的・制度的にこの対比を固定化
文化的にも価値的にもヨーロッパとは隔絶したことを意識の上では意味した
ワシントン「告別演説」
アメリカの「孤立主義」的思考様式を最初に公に表明した
われわれの隔絶した位置は、ヨーロッパと異なった道をとることを示し、勝つ可能にしてくれる。…何故に、かような特有の位置の利益をすてる必要があろうか?何ゆえに、われわれの運命をヨーロッパの一部分の運命と織り合わせて、我々の平和と反英とを、ヨーロッパの野心、抗争、利害、一時的な気分や、気まぐれの荒波の中にからますことがあろうか?
もとは、後発国として独立したばかりの地位を失うことをおそれるという権力政治的発想
のちには、権力政治そのものを価値的に道徳的に否定
ヨーロッパを価値的に否定する発想へ
ヨーロッパとアメリカの、価値的・道徳的隔絶
合衆国においては、<アメリカン>と<ユーロピアン>という言葉は正確な地理的用語というよりは、論理的な対照として用いられてきた
移住は地理的・空間的移住であるとともに、体制的移住、価値の転換をも意味した
1848年のヨーロッパ大陸の革命の挫折でアメリカに逃れてきた人「フォーティエイターズ」
体制の変革を空間的移住によって体験
アメリカの特殊性の意識
アメリカ的体制は「自由」「多様性」「寛容」という価値を前提としているが
「自由」がナショナリズム=国家統合の基礎とされている
「自由」の絶対化を招きやすい
「自由」がもつ強制力が強く、自由そのものに対する脅威となるほど
体制信従の問題の思想史的前提
「明白な運命」は隔絶のみならず、異質的体制に対する排除の論理を内在する
ヨーロッパ絶対主義、神聖同盟、カトリック教、共産主義…
オ・サリヴァンの「併合論」自体がイギリスやフランスの干渉を排除するという排除の論理でもある
拡大・使命の論理
権力政治の観点
先進ヨーロッパ諸国のパワーをさえぎることによって、安んじて大陸へ膨張してゆくこと
アメリカ合衆国内には、匹敵するだけのパワーがないので現実的に可能
1783年の北西部領地の獲得
1803年のフランスからルイジアナ購入
1819年のスペインからフロリダ購入
1845年のテキサス併合
1848年のオレゴン領有
1848年、メキシコからカリフォルニア、アリゾナなどの地方の割譲
体制の拡大、道徳的使命の達成
国際関係としての権力闘争が大きくなかった
アメリカとヨーロッパとの違いの認識
ヨーロッパという空間と、アメリカという空間の違いという認識
体制の空間的把握が、体制のアメリカ大陸への拡大を論理的に可能にしていた
ジェファソン
アメリカは北も南もヨーロッパとはまったく別個の、アメリカ固有の一連の利害関係を持っている。それゆえ、アメリカはヨーロッパの体制とはことなったアメリカ独自の体制を持つべきである。ヨーロッパが専制主義の本拠たらんと努力し続けているとすれば、われわれはわが西半球を自由の本拠とすべく努力しなければならない
自由とアメリカ、専制とヨーロッパが結びついている
「地理的予定説」
アメリカ大陸が元来「自由」が発展すべく神の摂理によってあらかじめ選ばれている
「宿命」の論理
アメリカ的体制はアメリカ大陸に拡大する
「使命」の論理
「自由」をアメリカ大陸に普及されるのが道徳的「使命」である
ジュリアス・プラット
ひとつには合衆国内の激しい人口増加であり、ひとつにはアメリカ人の才能とアメリカの政治制度が、隣邦諸国のそれに比して優っているという革新
アメリカの政治制度の優越性の信念
エマソン
アメリカ憲法を「世界の希望」と呼んだ
ダニエル・ウェブスター
アメリカ憲法は「十全にして完全」
アメリカの政治制度、体制一般は独自なものであるという信念、特殊性の意識が、同時に世界に冠たるものであり、世界の範足るべきものであるという信念、普遍性の意識と表裏をなしていた
普遍的なものであるー普遍化してもよい、しなくてはならない
他国への干渉や膨張は普遍的なものの他国における顕在化、「教育」であるとして正当化
展開と展望
19世紀における膨張
以上のような論理で正当化されてきた
しかし、この論理に従う限り、膨張は空間的限定をうけなければならないはず
北アメリカ大陸、あるいは西半球
実際、アラスカ購入以外には領土的拡張は行われなかった
むしろ外延的拡大を内包化すること、広大な空間を市場として統一化することが課題だった
19世紀末からの海外進出
国内市場が完成
海外進出、「列強」の仲間入りが課題に
大陸限定の論理と、大陸外への進出とが矛盾
1898年の米西戦争
キューバをスペインの圧政から「解放」…OK!
フィリピン群島の領有…膨張主義の論理に矛盾
「帝国主義論争」
領有の正当化は普遍性の論理によることになる
異質的なもの、非普遍的なものを「教育」「宣教」することによって、普遍的なものに「改宗」せしめる
「改宗」によってアメリカ的体制へ同質化・同調化させるという発想と現実は、マニフェストデステニーと無関係ではない
抵抗と対立、挫折感
アメリカ大陸の特殊性からくる19世紀の論理を、世界大に応用しようとしたことから来る矛盾
すでに異質的なものが存在しているので、抵抗や対立がうまれる
論理が必ずしも実現化せず、挫折感がもたらされる
今後の課題
過去の論理から自らを解放すること
ケネディ
各国はそれぞれ独自の伝統と、独自の価値と、独自の願望を持っている。…われわれはそうした国々を、我々自身の映像にしたがってつくりかえることはできないのだ ーソートレイク・シティ演説