第3章 宝塚から読み取られる親密性
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from 宝塚・やおい、愛の読み替え
1 役名の物語
異性愛
異性愛的なストーリーが宝塚の公演には多い
独自性
男役が,一見して女であることが誰の目にもわかる
性的欲望を持たない「男役」
異性愛主義が支配する社会では「セックスとジェンダーと欲望の間のない敵一貫性」が想定されている(ジュディス・バトラー)
つまり,男性の異性愛的な性的欲望は男性の身体に由来するとみなされる
「社会的実践の規則としての「異性愛」」は,「性的欲望の主体」を「男」に,「性的欲望の対象」を「女」に強固に結びつけるパターン(江原)
宝塚の異性愛は,現実社会における「異性愛」のあり方とは異なるものになっている
娘役についても,女性であると表す記号として表現しているが,生身の女性の性的身体を感じさせない存在である
→宝塚の舞台における恋愛のコードは,セクシュアリティと密接に結びついているわけではない
男同士の友情
霧矢が「宝塚の男役同士が演じる友情は,普通の男性の友情より熱いと思う」と「歌劇」で述べるように,一般的な友愛のコードよりも強固な関係性を表すものとして友愛のコードが構成されている.深い絆
女性同士の緊密な友情が描かれることが少ない(主役は男役であるので)
やおいが好きかに関係なく,「男同士の友情物語を見たい」というファンもいる
友愛のコードと恋愛のコードの接近
宝塚の恋愛のコードはセクシュアリティとの結びつきが弱い
宝塚の友愛のコードは,一般の友愛コードよりも濃密な関係性として規定している
2 芸名の物語
「コンビ」の存在
同期生の男役同士,入団年が近く,同じくみで若手スターとして活躍する男役同士
劇団の精度が重要な要素
また,メディアで一緒に取り上げられたり対となる役を与えられるか
若手スターの出番を確保するための,ストーリーには関係ない役が出てくるなど,劇団の制度が生み出す関係性を踏まえて舞台作品が作られる
3 愛称の物語
宝塚雑誌では,劇団内の様子や団員同士の間柄を伝えるエッセイや対談記事が掲載されている
一般の演劇誌では中心にはならないが,宝塚ではこれらの記事が一定の割合を占める
TVなどの別メディアでも,インタビューや座談会番組が放送されている
これらの記事で取り上げられるのは,タカラジェンヌ同士の友情,関係性
”女子校”としての宝塚歌劇団
同世代の異性から隔離されている女子校の生徒たちは,一般に女性に課せられている異性愛の義務を免除され,女同士の絆を最重視することが許された存在である
→女子校を舞台にした物語では,女子生徒同士の関係性を全景化することができる
女子校の性質は,宝塚の愛称の領域に引き継がれている
異性愛と無縁の女性として構築される「愛称の存在」
劇団自体が,学校システムである(宝塚音楽学校,そしてそこからの持ち上がり)
結婚が決まると対談しなければならない
→劇団の仲間との関係が,タカラジェンヌにとって最も重要な関係として表される
友情物語の蓄積
学園ものの舞台設定の提供によって,物語性を形作る
同性愛関係の不可能性
すみれコードがあるので,雑誌などでの愛情表現が恋愛感情として提示されているのではないと解釈せざるを得ない=友愛のコードに親密性を限定
あくまで送り手側の意図なので,受け手が<百合>を想定することは可能
友愛コードに親密性を限定することによって,女同士の強いホモソーシャリティを表すことができる(恋愛のコードによって,タカラジェンヌ同士の絆が劣位化されることはない)
4 重ねあわされる絆
送り手が意図しなくても,受け手が物語消費的な舞台の見方をすることがある
「凱旋門」の例
送り手側は単純にラブストーリーとして想定したのであるが,ファンたちは男同士の友情に意味を見出し,また「凱旋門」のストーリーを,役者の組み替えという不条理な別れと相似して写った
別の役者が演じた際には,違った受け取られ方をしているので,舞台外での「文脈」が受け止め方に影響している
「作家がその物語に意図的に込めた主題とは別の水準で,物語がある環境に置かれ,ある形で流通するというその作品外的な事実そのものが,別の主題を作品に呼び込んでくる」(東浩紀)
キャラクターが別の物語の可能性を呼び寄せた
5 宝塚のリアリティ
メディアと物語の相互性
「ダンサ セレナータ」での,ジョゼとイサアクの役名の関係と,「ちえ」と「とよこさん」という愛称の存在を重ね合わせることで,メディアの言葉と上演される物語の双方に説得力が生まれる
脚本の穴を埋めることもできる
舞台で描かれる関係は現実とはかけ離れた情熱的なものも多いが,普段から親密な関係にあるとされる役者たちが演じることで,関係性を自然なものに感じやすい
逆に,舞台上にオフステージの関係性が表れていると見なすことで,彼女たちの絆を舞台で実際に目にしたような真実味を感じることができる
虚構の世界に互いにリアリティを与え合い,支え合う構造
リアリティの発生
層状になった複数の物語をシンクロさせて,各層が他の層にない「現実」を補うことで生み出されるリアリティ
観客の目の前で繰り広げられる舞台という現実
美化されているとはいえ実際に存在する,舞台裏の世界の現実
→「階層的に区分された複数の感覚ブロックをシンクロさせれば,そこには必ず,一定量のリアリティが発生するだろう」(斎藤環)
宝塚のリアリティ
舞台上の親密性と舞台裏の親密性の相互作用が,舞台で上演される物語にリアリティを付与する
ファンの目には,舞台での異性愛関係は,男同士の友情と比べてリアリティがないと映る可能性
なぜなら,男同士の友情は舞台裏での友愛のコードとずれがないから
娘役と男役の絡みは演技めいていて,男役同士はさりげない感じがいい,というインタビュー対象者の存在
トップコンビ制度,メディアにおける表象によって,男役と女役の異性愛関係のわざとらしさを軽減
信頼関係を築き上げているコンビによって恋愛関係が演じられるからこその魅力
柚希「踊りだけでない,ファンの皆様が普段の二人の姿と照らし合わせていろんな思いで観てくださりますよね」
ファンがトップコンビの踊る姿から二人のオフステージの関係性を読み取ろうとしているという認識
また,非性化されていることで,舞台裏の友情関係とのコードのずれが少なく,受け入れやすくなっている
なぜ,公式メディアだけでなく,舞台から親密性を感じ取ろうとするのか?
プロレスファンを参考に
「八百長と真剣勝負との揺れ動く境界上につくられる「物語」を読むような楽しみ方(小田)
嘘と知りつつ楽しんでいるというより,「近代的なアイロニーを打ち破るような”真実の瞬間”を待ち望んでいる」
八百長という嘘が,真剣勝負という真実に転化する瞬間を待ち望む
宝塚ファンは,舞台でお互いに向ける笑顔などから,メディアで表象されるタカラジェンヌ同士の絆が「嘘」ではないかどうか確かめている
虚実が曖昧な愛称の領域の友情物語を真実と確信できる瞬間を待ち望む
ゴシップを求める人たち
スターが売り出している公式イメージからズレている情報を真実とみなし,それを欲している(ダイアー)
宝塚ふぁんが求めている真実
公式イメージと一致する真実
メディア上の表象を端から虚偽として,その裏に隠されている事実を暴こうとするのではなく,メディア上の表象が真実であると確信を持てるような根拠を求めている
真実のホモソーシャリティの希求
なぜ,タカラジェンヌ同士の絆が真実だと確信したいのか?
団員が女だけであることに対する否定的なイメージの存在
厳しい競争社会,
「女の友情など所詮まやかし,存在しないといった決めつけ,女性同士の関係を嫉妬と羨望が渦巻く醜い対立関係に矮小化しようとする眼差し」のような「女性同士の親密な関係性に対して男社会が執拗に抱く偏見・誤解」(吉沢)
6 宝塚の相関図消費と親密性のコード
女同士の絆は,愛称の領域で展開され,舞台上で男同士の友情と異性愛が表現される
男同士の友情と異性愛は,社会の中で強固な親密性として認められている
宝塚ファンの物語消費的な舞台の見方では,それらの親密性を,タカラジェンヌ同士の親密性の表れとして解釈する
→恋愛のコードや,男同士の友情を表現する友愛のコードを女同士のホモソーシャリティの読み取りに利用している
女同士のホモソーシャリティのたんぽ
異性愛を表現する領域と女同士の絆を表現する領域を分ける
女性たちから異性愛の可能性を消去する
すみれコードによって恋愛のコードが消去されているため,友愛のコードが最上位の関係として表される
公私の中間的な領域と関係性の中で表される親密性
宝塚における<大きな物語>はタカラジェンヌ同士の人間関係
→「相関図消費」:特定の人物の間で結ばれている人間関係に関心を寄せるタイプの物語消費
7 宝塚が見せる夢
美化された男女の恋愛が描かれる舞台を好む宝塚ふぁんは,王子様との恋物語を夢見る女性だと思われがちだが,一般的には表現されにくい女同士の強いホモソーシャリティをリアリティを持って感じ取れることが,ファンに提供できる夢の一つである
ただし複雑な過程を踏んでいることから,現代社会において女性のホモソーシャルな親密性の表象がいかに困難であるかも見えてくる
類似の相関図消費の例
女子プロレス
プロレスラーの間の関係や情感の動きに感情移入する読み方
恋愛物語に,タカラジェンヌ同士の友情物語が重ねられること
恋愛のコードに則った表現がホモソーシャルな親密性の表象として受容される
ー>”同性による異性愛”は恋愛のコードから女性のホモソーシャリティを認識することを可能にする
異性愛主義的な舞台作品から,相関図消費的な見方によって,女同士のホモソーシャルな親密性に読み替えられる可能性を常に秘めていると言える