第2章 タカラジェンヌの四層構造
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from 宝塚・やおい、愛の読み替え
1 宝塚の概要
大正2年に宝塚唱歌隊を発足,その翌年には宝塚少女歌劇養成会と改め,第一回公演を行う
→宝塚の誕生
昭和期に入ってから,1930年「パリゼット」からの白井によるレビューが人気を集める
ここで大きな変化
舞台に異性愛のロマンスの要素が導入された
人気の中心が娘役から男役に移行した
断髪の影響あり
客層が変化し,女性中心になった
宝塚の舞台が女同士で演じられることはどのような効果を持っていると捉えられているか?
現実社会のものとは異なるジェンダーやセクシュアリティの表現がファンを惹きつけている(松井,小谷,川崎,根村)
異性愛とは別の関係性の表現
ファンと男役スターの間での,擬似的な母ー娘関係(天野道映)
れずビアン的な関係性(ロバートソン)
セクシュアリティを否定し,男性から逃避する場(佐伯順子)
宝塚の独自性
歌劇団というシステムそのものが表象でありメディア(川崎)
2 環境分析的な舞台の見方
舞台で上演される物語が,それを演じる役者の状況と重なるような作品
「cocktail」など
「環境分析的な読解」をするようにファンに促している
役者にまつわる情報も,作品の読解に作用する「環境」
宝塚においては,ファンが持つ役者に関する知識が舞台の内容の読み取りに深く関わっている
ポピュラーカルチャーの諸作品を読み解くためには,物語が作品内で完結していると考えるのではなく,「環境の効果を挟み込んで作品を読解する」ような「環境分析的な読解」をするべき(東浩紀)
3 タカラジェンヌの四層構造
演じ方の特徴
大空祐飛の例
舞台で演じる役とはまた別に,大空祐飛という長い時間をかけて作り上げてきた男役像があります.その架空の人物である大空祐飛が,舞台でさらにxx役という役柄を演じているのです
オスカルという役を水夏希という役者が演じる場合,オスカルになるのは「本名のxxさん」ではなく,彼女の作っている「水夏希」である,そして,「役というのはむしろフィルターなんであって,最終的に到達するのは,その子が一生懸命作っている水なつきであるのかもしれない」(小池修一郎)
男性/女性であること自体を演じる
ショーの存在
ショーでは役柄はつかないので,それゆえ自分独自の「スター」が必要になる場合(石田昌也)
男役/娘役とは何か
芝居のように演者が自分以外の人間を表現するものでは,舞台の上に登場する人物は物語の中の役でもあり,それを演じる役者でもあるため,観客は「登場人物と役者とを同時に見ている(渡邊守章)
近代的な演劇では役の下に隠されようとする<虚構の身体>を役を演じるために作り出し,また観客に意識させないようにするが,宝塚ではむしろ役をつうじて<虚構の身体>を観客に示す
「役名の存在」と「芸名の存在」
ショーであっても,場面場面のイメージに合わせって表現するので,あらゆる瞬間で院議をしている,つまり,タカラジェンヌの姿は全て役名の存在
役を演じることを通してのみ,芸名の存在を表現することができる
芸名の存在そのものを直接目撃することはできない
役者の存在を通して,タカラジェンヌ/ファンによって作り上げられるイメージの中の存在
「本当の女?」
男役が女性の役を演じることがあり,そう言ったときには娘役に対して「本当の女」という表現が使われる
その区別が成り立つのは,男役である芸名の存在が念頭にあるからではないか.
「女装」するのは,素の役者(女性である)ではなく,いつもは男性を演じる芸名の存在としての男役
舞台裏の存在の二重性
ファンに示される公開された素顔と,非公開の素顔
「すみれコード」,本名の扱い,など
→「愛称の存在」「本名の存在」
特筆すべきは,ファンの目から隠されている部分があることが,ファンに対して隠されていないこと
「タカラジェンヌとしての<私>を演じることを期待されている」(川崎)
「セルフプロデュース」された姿
「オフの自分に求められる「癒し系」という色だけではなく,たとえば舞台で男役を演じているときは全く違う面をお見せしたいと思っています」(彩那)
オフステージについても,なんらかのイメージに「セルフプロデュース」されていることが窺えるし,ファン雑誌で語られたことからも,それは隠されていない
一般の芸能人には,オフステージの姿が一種類しか想定されていない
たとえば,アイドルであれば「恋愛はしない」と嘘をつくなりする.タカラジェンヌのように「することもあるが,オープンにはしない」というように語ったりはしない
「愛称の存在」「本名の存在」二つのオフステージの姿の存在によって,イメージに合わない情報は「本名の存在」(ファンに非公開)に帰することによって,愛称の存在のイメージを保つ
他の演劇等との比較
歌舞伎
演技の方が存在し,<虚構の身体>があらわである
舞台上の役を演じるとともに,女形の型を演じるという二重性がある
しかし,歌舞伎役者は女形であっても,普段から女性装をしているわけではない
吉本新喜劇,松竹新喜劇
演目が変わっても,それぞれの役者と結びついたキャラクターを演じている
→役名の存在と芸名の存在の人物像が直結している
映像分野の役者
「プロモーション」「パブリシティ」「映画」「批評と解説」によってスターのイメージが形作られる(リチャード・ダイアー)
オフステージからもイメージが作り上げられるという点,また,<虚構の身体>(芸名)を押し出すという点で共通
違っているのは「演技スタイル」ではないか
映画では,「日常のやりとりに近いようにみえるパフォーマンスのスタイル」
→舞台上でのイメージは,役者本人にまで延長している
kana.icon例:悪役をやった俳優が,一部のファンに「性格が悪そう」などと芸名の存在も思われてしまうことなどか?
宝塚の場合,芸名の存在と愛称の存在は分離している
4 宝塚の〈物語消費〉
ポピュラーカルチャーの領域での「感情表現の省略化」
「ここでこういう演出をすれば,受けての側で勝手に解釈してくれるだろうという演出の圧縮をやって」「積極的に定型的な表現やセリフに落としていく」とうな表現の仕方が見られる(大塚・東)
受け手に特定の情報を解釈するための知識があることが前提されている
cocktailの「チャーリーズ・バー」の場面でも,舞台上の物語から役者自身を取り巻く状況を思い起こさせる演出
「役名の物語」に「愛称の物語」を繋ぐ回路として機能する
→<物語消費>的に見られる宝塚
物語消費的な舞台の見方をするのに不可欠な要素としての「愛称の存在」
<物語消費>とコミュニティ
物語消費的に舞台を見ることができるのは,ある程度ファン歴の長い人たちであり,そのような見方を共有する”普通の人には見えないものが見える<私たち>”のコミュニティを作り出す
注釈より
「宝塚で良かったのは,内面描写よりは魅力的な典型がひしめいて,その力学で物語が進むという感じ.やっぱりアニメに似ている」(赤坂・川崎)