妊孕性に対する身体違和のようなものがある
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このポストを見ながら、自分は持ったことがない悩みだなと思った
なんというか、妊孕性に対する身体違和のようなものがあるんだよな
ほんとうに小さいときから今まで、自分が妊娠出産するということは「自然と」考えたことがないし、なんというか「?」である
それを嫌だと感じる、拒絶する人の場合、「ぜったいに嫌だ」とか「ぜったいにやらない」という意志を持ってるわけだと思うのだけど
なんというかkana.iconの場合、「できる、すると考えたことすらない」。
子供を持つかどうか考えるとき、養子、代理出産のことを違和感なく考えるし、erniogi.iconとパートナーになるまえは、彼女・妻が産みたいと言ったケースも含めてそれらを自然と考えていた
だってそもそもそのように考えたことがないのだから、周りに「なぜそうしないの?」とか「そうすべき」と言われたり思われたりしても、「???」「逆になぜそのようなpostを投げてきますか???」という感じ。
まあ嫌か嫌じゃないかで言えば嫌なんだけど、というか、尋ねられたらそう答えるしかないんだけど。
嫌云々以前に「自分に嫌か嫌じゃないかとか、そうするかどうかを尋ねる存在が不思議」というかんじなんだよな
身体違和をかかえたことがないから、身体違和がある人もこのようなのではないか?という推測で話しているのだけど、少なくとも自分と妊娠出産の関係はこれ