アワ・ボディ
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競争社会の中で自分を見失っていた女性が“ランニング”と出合い、人生の新たなる一歩を踏み出していく。注目の新人女性監督ハン・ガラムの繊細でヴィヴィッドな演出が高い評価を受けた韓国インディーズの話題作。『金子文子と朴烈』のチェ・ヒソが、走ることで輝きはじめるヒロインを全身で熱演。主人公が憧れる女性を好演したアン・ジヘも本作で注目され、アクション映画『スレイト』に主演した。
ハン・ガラム監督の韓国国立映画アカデミーでの卒業制作となる脚本を兼ねた長編劇映画デビュー作。第43回トロント国際映画祭のディスカバリー部門でワールドプレミア上映後、各国の映画祭で上映されて評判となった。第23回釜山国際映画祭ではチェ・ヒソが「今年の俳優賞」を受賞、第14回大阪アジアン映画祭ではスペシャル・メンションを受賞した
大学卒業後、公務員試験に落ち続けていた31歳のチャヨンは、受験をやめる決心をする。恋人は去り、母親が落胆しても彼女の意思は固い。そんなとき、彼女は夜の街を颯爽と走る美しい女性ランナー、ヒョンジュの姿を目にする。チャヨンはその姿に憧れてランニングを始め、やがてヒョンジュと一緒に走るようになる。彼女は走ることで自らの肉体の変化と精神的な開放を感じていくが…。
韓国映画って就職できない若者ばっかりでてくるな…
しかも、たいていは学生時代それなりに結果を出していたのにもかかわらずうまくいかないという感じ
あと、これいらんやろってセックスシーンがまじでいやなんだけど、これもよく出てくる
貧乏でなにももってない若者の唯一の楽しみみたいな感じなんだろうか
即物的だし、手っ取り早いだけでたいして楽しくもないのになみたいなしょうもなさだけど、そういう生活なら「そう」 なのかも
ランナーの身体を主人公視点で眺める
セクシャルでない映され方に感じたけど、どうなんだろう?
妹がジャンプして棚の上の漫画を取る
初めてたくさん走って、今にも倒れそうという感じに、苦しそうに息をする
このあたりの描写はかなりよかった
文字どおり「運動」 を映せている。身体性のようなものも
「若い男は嫌。体を自慢してくるから。私だって頑張っているのに、なんだか悔しいじゃない」
ほぼ下着のような姿でゴミすてにいく
女の肉体に対するままならなさや忌避と、自分のもとにそれを取り返そうという意識?
と、思ったけど特にそこからなにも進むことがなく、しかも主人公はむしろすすんでそんな環境 (性の対象としてのみ見られること) を受け入れたりしてよくわからない…
「努力したぶんだけすぐ体にあらわれる それがいい」
これを言うのは一緒に走っていたグループの男
ヒョンジュやチャヨンはどうおもっていたんだろう、こういう風には思えないのかな
中学の友達だったって人、けっこうやさしいじゃん、なんだか主人公がつきあいづらそうにしているのかわいそうかも
基本的にこの主人公は自閉的というか、極めて口数が少なく、無表情
なんとなく見ている側からするとヒヤヒヤしていまうが (相手がかわいそうで) まあ愛想よくできない / したくない人もいるだろうからなあ…
「ユンさんは健康的でいい」
彼氏いないの?みたいな文脈で。
結局はそういうふうにしかみられないということとか。でもそのあとその見方を受け入れてしまうようなのがちょっとよくわからないけど…
これまで描かれて来たヒョンジュの行動、後半は主人公がそっくりそのまま同じように振る舞う姿が映される
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あらすじから想像していた感じと全然違っていてちょっと面食らった
前半は想像どおりだったのだけど、ヒョンジュの家にものがなにもなかったりしてからかなり不穏になってきて、そこから先は「運動で自分を取り戻す」 とか、運動を通じて仲間もできて仕事もうまくいってポジティブになれるみたいな、そういう空気は全部吹っ飛んでいた
前半…というか序盤は運動や身体が映っているという感じですごくよかったのだけど、後半は話についていけないしそういうはっとなるような運動描写は影をひそめてしまって、ちょっと悲しかった
プルーストを読む生活にもあったのだけど、どうして世の中の作品は、最悪ではないが漠然とした孤独とかどんづまり感、虚無、どうしようもなさみたいなものを表現しようとするときにすぐセックスに頼るんだろう、冒頭のあれは最悪だった 同化願望とセクシュアリテイがないまぜになっている描写はかなりよかった、そうだよねーみたいな
主人公がほとんど言葉を発さないの、わりと見ていてイライラするんだけど、あえて言葉はなしで「ボディ」 の表現を描き出そうとしているとしたらそれはそれでおもしろいのかもしれない
でもやっぱり後半はちょっとわからなかったな…でもなんかいい、こういうおもしろいかおもしろくないかよくわからない映画
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リラックマが吊るされているの、ちょっと愉快だった
実際、ハン・ガラムも『アワ・ボディ』で、その尖った才能を、素直に、臆することなく発揮してみせた。何の状況説明ショットも介することなく、公務員試験の勉強で机に向かう主人公チャヨンをとらえた冒頭のシーンから、彼女の確信に満ちた映画語法が観客を打ちのめす。可能な限り身体(ボディ)そのものの力で、あるいは身体の運動そのもので、映画を語り進めていくこと。それが本作の語法の第一原理だ。しばしば身体に思いっきり近接したカメラがとらえる肌の具合もまた、ただならぬドラマ性を帯びて見える。
勉強に行き詰った風な主人公の姿から、彼氏との情事、そして街なかの階段でのランニング中の女との運命的な出会いまで、ジャンプショットと大胆な省略法を多用しながら、次々と新たな事態を突きつけるように提示していくさまが素晴らしい。
ランニングする女とは、一言も言葉を交わすことなく、劇的に運命的な関係を結んだことにも注目したい。映画総体として見ると、けっして会話が極度に少ないわけではない。けれど、台詞で何かをわかりやすく説明してから次の段階へと物語を進めていくようなことを、ハン・ガラムは好まない。言語による明確な定義抜きに、その時々の生々しい曖昧さや中途半端さ、あるいは突飛さをまるごと引き受けたまま、人間を動的に描き出そうとする。自身をランニングへと誘うことで人生を少しは変えてくれた女との関係も、どういう言葉で定義すればよいものなのか、監督は解釈を観客に任せている。たしかな拠り所もなく、どこに人生が向かうのかも見えない女のもがくような31歳という時代の不安定を、それでも運動する身体だけが感じることのできる微かな喜びやときめきの確かさと共に魅惑的に描き出したのが、『アワ・ボディ』だ。
これだよなー
説明が極端にすくなくて、それがとってもいい
身体そのものの力を重視ってとこもいい
しかしやっぱりここで言及されているのって前半のことなんだよな、自分が感動したのも前半で、後半はどう接したらいいのかよくわからない
ハン・ガラム監督(以下、監督)
チェ・ヒソ
(挨拶より)
チェ・ヒソ:この作品は、まだ韓国では公開されておらず、観客の前で上映されるのは、今回が初めて。
監督:まさか、観客の方を前に上映することができるとは考えていなかった。
Q:大勢の前で上映できるとは、と言われていたが、この作品は卒業制作などでしょうか?
A(監督):韓国国立映画アカデミーの卒業制作です。
Q:上映は、想定外だったのですか?
A(監督):海外で上映できると考えていませんでした。
Q:チェ・ヒソさんは、卒表制作の作品なのに、とても挑戦的な演技をされていますが、出演された理由は。
A(チェ・ヒソ):『金子文子と朴烈』の撮影のあと、シナリオをいただきました。力強く、小説のような脚本でした。平凡なのに、韓国の女性の共感が得られるようなキャラクタで、力強かったです。前作とは、女性が「主体的」であるという共通点がありました。この作品は、彼女だけの「生き方」「色」を意識して演じました。
以下、観客からの質問
Q:主人公は、親から与えられた価値観に挫折したのち、ヒョンジュの生き方に惹かれ、ラストには自らの価値観へと昇華するように描かれていた。日本でも、TVの普及の影響と考えるが、他者から与えられた価値観に影響される人が多くなり、現代はそれがSNSにより多様化していると考えているが、韓国で、今、この作品を制作されようと考えた意図、社会的背景があるのか。
A(監督):20代の頃、自分自身もとても悩んでいました。社会や親の期待に応えないといけないというストレスとの戦いがありました。この作品は、体の変化によって、生き方が変わっていく姿を表現しています。体は自分の理想を外部に表現できる唯一のものである、という文章に出会いました。韓国の若者も同じような悩みにぶつかっていると思います。私の作品の意図を正確に汲んでいただき、うれしい。
Q:とても難解な作品でした。ヒョンジュとの、年の離れた妹との、同性の人間関係の描き方について意識されたことを教えて欲しい。また、劇中に登場するお酒の意味は。
A(監督):ヒョンジュは、先に生き方を確立している人。その死を通じて、主人公はその生き方を追体験することになります。そして、その結果、自分の生き方を見つけることになります。妹は、新しい世代の象徴として描いています。おそらく、ヒロインとは別の生き方へ到達すると考えています。劇中のお酒は、お酒好きの友人がいて、その姿がとても格好良く、ヒョンジュのキャラクターにあっていると考えたの設定しました。飲んでいるお酒(設定)は、麦酒です。
A(チェ・ヒソ):梅酒だと思ってました!撮影時は、リンゴジュースを飲んでいます。
Q:(チェ・ヒソへ)今後、どのような役柄を演じたいですか。
A(チェ・ヒソ):挑戦的な役柄に惹かれています。ただ、まだ自分は新人です。『金子文子と朴烈』は、オーディションを経て、勝ち取った配役でしたが、今回はオファーをいただきました。実は『金子文子と朴烈』出演前に、少し空白期間があり、映画アカデミーに自分のプロフィールを持って、売り込みに行ったことがあります。その時、プロフィールシートを置いたパソコンの横が、偶然、監督が普段使っていたPCだったそうです。後日、監督から『金子文子と朴烈』を観たあと、そのシートに書かれた個人の連絡先へオファーが来ました。この後、演じたい役柄は、国籍や職業にこだわりはなく、様々な役柄を演じたいと考えています。
ヒョンジュを「先に生き方を確立している人」 といいつつもあのような形で殺してしまうことはいったいなんなのだろう? 彼女は自分には、まだなにか迷っているようにみえたし、不安定にも見えた
「ラストには自らの価値観へと昇華」
え。そうだったのか。
あの、ヒョンジュの生き方をなぞるようなシークエンスにも関わらずおなじ交差点で死ななかったところから、彼女自身の人生が始まっているということでいいのかしら。
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