自然法則は「こうすればこうなる」である
... 物理法則は反事実的な主張として解釈することができる。「ばねにぶら下げる重りが二倍になったとしたら、ばねの長さも二倍になるだろう」(フックの法則)という具合だ。もちろん、この記述は、無数の実験(はしごの二段目)による証拠に裏づけられている。多数の研究室の多数の異なる条件下で、無数のばねを使って行われた無数の実験によって得られてきた証拠だ。しかし、いったん「法則」として認められると、物理学者はそれを関数関係、つまり重りの重量を仮定すれば、どんなときでもばねの長さが定まる関係としてみなすようになる。その法則によって、実際には世界は一つしか存在しないにもかかわらず、「重りがxグラムで、ばねの長さがである」という無数の可能性の世界について、客観的に知れるようになるわけだ。
ジュディア・パール、ダナ・マッケンジー『因果推論の科学』(原題 "The Book of Why")p. 60
問いがなければ答えはない
では、統計的法則が実際に現われてくる場面を問題にしてみよう。先ほど述べたように、統計的法則は「同様の条件」にもとづいて、その上に成り立っている。したがって条件を変えるごとに、統計的法則は違う姿を見せてくる。その違いがきわめてドラスティックな仕方で現われてくるのが量子論の特徴である。たとえば、最初に述べた二重スリットの実験で言えば、二つのスリットを開けるというその条件下では、縞模様がスクリーン上に現われてくるし、一方のスリットだけを開けるならば、より単純な分布となる。まさにこの条件を変えることに対する法則の変容の仕方は、しばしば波動性と表現される。なぜ波動性と呼ばれるかというと、「境界条件」(たとえば障害物の配置)に対して、どのような分布がスクリーンに現われるかということは、水の波が障害物を全体として乗り越える際に生み出すパターンと類比的だからである。このような条件の変化に対する変容の仕方は、本章の冒頭で述べたように、粒子という捉え方では完全に理解することができず、この「波動性」をも理解するには場の考え方が必要だったわけである。
ここで際立ってきているのは、どういう条件を設定するかを決めなければ、統計的法則それ自体が定まらないということである。一個の必然性があらかじめ定まっているというのではなく、あくまで「こうすればこうなる」という形で条件と法則が結びついている。逆に言えば、それを使って現実の事象を制御することもできるわけであり、それが現代の量子テクノロジーの基盤となっている。量子論以前の統計においては、本当の法則は一つに決まっており、法則の不定性は人間の無知や様々なバイアスによるものだと考えられていた。ところが、法則の不定性には物理的な基盤があり、その不定性自体が、自然の正当な現われ方なのだということが、量子論において明らかになってきたのである。もちろん、人間の無知や多様なバイアスによる不定性もあるのだが、それだけで法則の不定性をすべて説明することはできない。それどころか、「法則が必然的に決定されている」という考えに固執することは、そこで起こっていることの理解を妨げ、本来見えるべきことを見えなくしてしまうという意味で、不当でさえある(11)。
つまり、自然は何らかの問いかけに対してのみ答えを与えてくるのである。問いかけ以前に何かがすでに定まっているという考え方は、そこで起こっている事態を記述するにはむしろ不適切であるということが、量子論において際立ってきている。
量子力学は、何かがどうである[is]かについては語らないが、どうなりうる[could be]かについては(計算可能な確率とともに)語る。その際、ここが重要なのだが、そうした「なりうる」どうしの関係に関する論理に従う。もしもこれならあれだ[If this, then that]、のように。
つまり、量子力学の性質を今できる範囲で本当の意味で記述するためには、従来の〝である〟主義["isms"]をすっかり〝もしも〟主義["ifms"]に置き換えるべきということである。例を挙げよう。
「ここにあるのは粒子であり、あそこにあるのは波である」 ではなく「もしもこのように測定するなら、量子物体は私たちが粒子に関連付けている仕方でふるまう。だが、もしもあのように測定するなら、波であるかのようにふるまう」
「この粒子は一度に二状態である」 ではなく「もしもそれを測定するなら、この状態は確率X、あの状態は確率Yで検出される」
この〝もしも〟性はややこしい。私たちが科学と関連付けるに至った性質ではないからだ。私たちは物事の様相を語る科学に慣れており、〝もしも〟が持ち上がるなら、それはわかっていない部分があるからにすぎないと考える。ところが、量子力学において〝もしも〟は根源的だ。
フィリップ・ボール『量子力学は、本当は量子の話ではない』(原題 "Beyond weird")