アフォーダンスの実在性をめぐる圏論的アプローチ
エナクティブ・アプローチと生態心理学の調停に向けて
日本生態心理学会第10回研究大会 3/14-15
シンポジウム「徹底討論 エコロジカル・アプローチとエナクティヴ・アプローチの近くて遠い関係」
廣田隆造(東大総合文化・北大CHAIN)
自己紹介
廣田隆造
2015~2019:東京大学教養学部
(前期)文科Ⅱ類→(後期)学際科学科
池上高志研究室(人工生命)に所属
2019~2025:東京大学大学院総合文科研究科 広域科学専攻広域システム科学系 修士→博士課程
エナクティヴ・アプローチ
田口茂(哲学)と西郷甲矢人(数学)との共同研究
https://www.chikumashobo.co.jp/docs/images/book/big/9784480016904.jpg
2025年3月:博士(学術)
博士論文:"A Category-Theoretic Approach to Ecological-Enactive Cognition"
2025〜現在:
東京大学大学院 総合文科研究科 特任研究員
北海道大学人間知×脳×AI研究教育センター(CHAIN)客員研究員
最近の仕事
『システムとサイバネティクスの思想』(コロナ社)
https://www.coronasha.co.jp/imgs/cover/9784339034035.jpg
第4章「エナクティヴ・アプローチの現在:その原理と展開」
Maturana & Varelaのオートポイエーシス→後期Varela→Thompson, Di Paolo, Barandiaranらの現代的エナクティヴ・アプローチ
「圏論はなぜ⽣態⼼理学者のための数学なのか?:共通する源流とその展望」(ポスター発表)
圏論と生態心理学はどちらも現代数学における「エアランゲン・プログラム」を思想的源流(の一つ)としている
本日14:15-15:15のポスターセッション
EPとEAの架橋への動き
初期:双方向的な批判
『身体化された心』での生態心理学批判
環境の側に多くを負わせすぎ?
Swensonなどによるautopoiesis批判
... the whole concept of autopoiesis is contrived at its foundations where it is miraculously decoupled from the physical world to promulgate a solipsistic epistemology with abhorrent social consequences
Swenson, R. (1992) "Autocatakinetics, yes—autopoiesis, no: Steps towards a unified theory of evolutionary ordering"
2000年代:双方向的な接近
Chemero(2003)による"relation"としてのアフォーダンスの解釈(後述)
Di Paolo以降のEA:「引き算」としてのsense-making (Di Paolo, 2009)
2010年代:より大きな枠組みからの統合
Chemero (2009) の"Radical Embodiment"
力学系理論ベース
https://scrapbox.io/files/69b4b5b2b9e150750ae1151f.png
Bruinebergらの"Skilled Intentionality Framework"
予測処理・自由エネルギー原理ベース
"Ecological-Enactive cognition"
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懸念
生態心理学には「譲歩」が求められているのか?
EPの強いコミットメントを保持した「強いEP」とEAは両立可能か?
「環境中に情報が『ある』」という世界観や、生物がそれをピックアップし「直接知覚」する知覚観といったラディカルな側面は、妥協せざるを得ないのか?
私の立場
1. アフォーダンスの「関係的」側面と「実在的」(「資源的」)側面は矛盾なく両立できる。
よって、前者と親和的なEAと後者に代表される「強いEP」も両立可能。
2. そのためには「実在」あるいは「現実」("reality")の理解を更新する必要がある。
3. その理解および実証には自然言語では不十分であり、適切な数学的枠組みを用いる必要がある。
圏論(category theory)
Hirota, R., Saigo, H., & Taguchi, S. (2024). Reality of Affordances: A Category-Theoretic Approach. ALIFE 2024: Proceedings of the 2024 Artificial Life Conference. https://doi.org/10.1162/isal_a_00805
アフォーダンス
The affordances of the environment are what it offers the animal, what it provides or furnishes, either for good or ill.
Gibson, 1979, p. 127
知覚者から独立?
Although an affordance consists of physical properties taken with reference to a certain animal, it does not depend on that animal.
Gibson, 1977
An important fact about the affordances of the environment is that they are in a sense objective, real, and physical, unlike values and meanings, which are often supposed to be subjective, phenomenal, and mental.
Gibson, 1979
知覚者に依存?
Note that the four properties listed—horizontal, flat, extended, and rigid—would be physical properties of a surface if they were measured with the scales and standard units used in physics. As an affordance of support for a species of animal, however, they have to be measured relative to the animal. They are unique for that animal. They are not just abstract physical properties. They have unity relative to the posture and behavior of the animal being considered. So an affordance cannot be measured as we measure in physics.
Gibson, 1979
客観でも主観でもない
... an affordance is neither an objective property nor a subjective property; or it is both if you like. An affordance cuts across the dichotomy of subjective-objective and helps us to understand its inadequacy. It is equally a fact of the environment and a fact of behavior. It is both physical and psychical, yet neither. An affordance points both ways, to the environment and to the observer.
Gibson, 1979
これをどう理解すべきか?
「資源(resource)」説
Reed (1996)・染谷(2017)
アフォーダンスは、それを知覚・利用する生物が現れる以前から環境中にある「資源」である。
アフォーダンスは「発見」される。
懸念:開かれた行為の可能性をどう擁護しうるか?
文化や技能に依存する行為のアフォーダンス
「ポストは手紙の投函をアフォードする」
新たな使い道の発明
Kauffman and Roli (2021):ねじ回しのもつ使い道を事前に列挙することは可能か?
それは「無限」ですらなく「不定(indefinite)」。
「関係(relation)」説
Chemero (2003, 2009); Stoffregen (2001)
Affordances[…]are relations between the abilities of organisms and features of the environment. Affordances, that is, have this structure:
Affords-φ(feature, ability).
Chemero (2003, p. 189)
アフォーダンスは「発明」(創造)される。
懸念:実在性の妥協?
Chemeroの定義を「個体と環境のその場においての関係」と読むと、アフォーダンスの実在性を保つのが難しくなる。
ピアノを弾ける人がその場にいるかどうかによって、ピアノの持つ性質としてのアフォーダンスが現れたり消えたりする?
Chemero (2003) 自身は彼の関係解釈がアフォーダンスの実在性を毀損することはないと主張するが、「何と何の関係か」に曖昧さが残る。
アフォーダンスの関係的側面を強調しすぎると、今は利用されていないが「資源」として眠っているそれを活用する機会も失われる。
「人がいない建物(廃校舎、使われなくなった空港、政府が立ち入り禁止にした宮殿など)にはアフォーダンスがない」ということを帰結しかねない。
To us that sounds absurd because the potential to use these buildings in various ways is so clearly present. Moreover, such a position would contribute to ignoring and wasting the available resources in these places.
Rietveld and Kiverstein (2015, p. 336)
「山は最強」(染谷さん)?
両理論の統合
Rietveld, E., & Kiverstein, J. (2014). A Rich Landscape of Affordances. Ecological Psychology, 26(4), 325–352.
アフォーダンスの関係的解釈と資源的解釈は矛盾せず両立する。
Affordances are relations between aspects of a material environment and abilities available in a form of life.
"form of life":「生活形式」(Wittgenstein)、「生命・生物の形態」
各個体内部だけでなく、集団、種、社会、職業、文化といった様々なレベルで共有・維持されているパターン
abilityを各個体によって占有されるものではなくより広い文脈において共有・再生産されるものと捉える。
アフォーダンスの存在は、それを「今・ここ」において知覚する特定の個体の能力の有無からは独立だが、何らかの"form of life"において潜在的に行使されうる(availableな)能力に対しては相対的。
affordances are relative to a form of life whose members could potentially detect the affordance.
「もしこのようなform of lifeの個体から見たならば、その環境からどのようなアフォーダンスがofferされるか」は、恣意的に決められるわけではない。
そこには制約(constraints)がある。
It is important to note that there are also certain things the cliff does not afford; it is not the case that everything is possible. There are certain constraints imposed on us by the materiality and layout of the environment as well as the practices and abilities that we have: for instance, the cliff edge does not afford locomotion, describing it as a flat plane, or flying to New York.
課題:
そもそもこのような依存関係を「アフォーダンスの実在性」と言いうるのはなぜか?
それは他の文脈における実在性とどのように関係するか?
このようなアフォーダンスのあり方を厳密に理解・検証するためにはどうすればいいか?
比例定数(π)アプローチ
Warren (1984)
「登れる」と知覚される高さと「登れない」と知覚される高さの境界の高さと足の長さの比が、身長の高い集団と低い集団で同じ値に収束。
知覚者のあり方に相対的でありつつ、それに依存しない普遍的な定数(invariant)が客観的に測定・計測可能なかたちで存在。
つまり、「登ることができる」とか「楽に登ることができる」といったアフォーダンスの主観的側面は、歩行者の脚の長さと段差の高さの比率という客観的数値に対応しているのである。アフォーダンスが動物と環境の相補性を捉える概念だからこそ、それは主観的であるとともに客観的でもあり、その二分法を越えているとギブソンは言うのである。
河野哲也・田中彰吾『アフォーダンス:そのルーツと最前線』
しかし、より複雑で高度な行為と環境の関係を単純な比例定数に落とし込むのには限界がある?
こうしたアプローチを、より柔軟かつ厳密に展開することはできないか?
圏論
EilenbergとMaclaneによる1945年の論文"General Theory of Natural Equivalences"において創始。
「すべては点の集まりのようだ」ではなく「すべては矢印のシステムのようだ」という世界観に基づく数学の共通言語
西郷甲矢人. (2018). 自然知能と圏論. 人工知能, 33(5), 553–560. https://doi.org/10.11517/jjsai.33.5_553
初期から計算機科学へと応用され、以後も物理学、工学、認知科学、そして人文科学などに応用されてきた。
圏(category)
「矢印のネットワーク」
https://gyazo.com/a64faf30bf13f2f603eee9640f483f3e
西郷・田口『〈現実〉とは何か』
「対象(object)」と「射(arrow, morphism)」からなり、以下の公理をみたすもの:
各射$ fは「域(domain)」と呼ばれる出発点の対象$ dom(f)と「余域(codomain)」と呼ばれる行き先の対象$ cod(f)をそれぞれ1つずつ持つ。
$ f: A \to B
$ \Leftrightarrow \, dom(f) = A, \, cod(f)=B
$ \Leftrightarrow \, A \stackrel{f}{\to} B
2つの射の一方の余域と他方の域が一致するとき、それらの「合成(composition)」が可能。
$ f: X \to Y, \, g: Y \to Zがあるとき、$ g \circ f: X \to Zがある。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/ef/Commutative_diagram_for_morphism.svg/1920px-Commutative_diagram_for_morphism.svg.png
※この順序で書くのは関数の合成 $ g(f(x)) = g \circ f(x)からの慣習。
射の合成は以下の「結合律(associative law)」を満たす:$ (h \circ g) \circ f = h \circ (g \circ f)
ここで考えている合成がただ「ともに置く(com-pose)」ようなシンプルなものであるということ。
各対象$ Aは、「恒等射(identity arrow)」という、以下の条件を満たす自身から自身への「なにもしない射」$ 1_A: A \to Aをもつ:
任意の射$ A \stackrel{f}{\to} Bについて$ f = f \circ 1_A = 1_B \circ fが成り立つ。
各対象は、その構成要素ではなく、他の対象やそれ自身との間の射によってのみ特徴づけられる。
"what it is"ではなく"how it behaves" ("how it is related with others and itself") による特徴づけ。
関手(functor)
圏$ \mathcal{C}から圏$ \mathcal{D}への「構造を保つ」(structure-preserving)マッピング$ F:\mathcal{C} \to \mathcal{D}
「圏の圏 (category of categories)」における射(の代表例)
対象を対象に、射を射に対応づける。
one-to-oneとは限らない。
「合成の構造」と「対象と恒等射の対応」を保つ。
https://gyazo.com/587ca2aaa2bf45e596fdb0c29c403859
ある圏からある圏の(役に立つ)「見方」("way of viewing")(Fong and Spivak, 2019, p. 97)を表現。
測定(数値化)、座標表示、モデル化
※反対向きの「具体化」も関手と捉えることができる。
関手の「非規準性」
ある圏からのある圏の「見方」(関手)は一般に複数あり、どれか1つへと一意には定まらない。
例:単位、座標軸などの選択の恣意性
どの「見方」でもいいのだが、必ずどれか一つ選ばなければいけない。
「非規準的選択(non-canonical choice)」(田口・西郷『〈現実〉とは何か』)
だからといって、各々が全く恣意的に「見たいように見る」というわけではなく、個々の「見方」同士の間には整合的な変換構造がありうる。
単位換算、座標変換など
理論上はさまざまな変換がありえるが、そのなかで我々が「自然に」用いるものがある。
それを一般的に定義したものが「自然変換」
自然変換
異なる関手の間の「構造を保つ」変換 $ t: F \Rightarrow G
https://gyazo.com/ca900c9588bba4cf4a925f71e577f9da
「見方」を変えたときの「見え方(view)の変化」
https://gyazo.com/45bda827afda4a4ebd28742821575611
$ t_1 = c, \, t_2 = g
圏$ \mathcal{C}の各対象$ Aを圏$ \mathcal{D}の射$ t_Aへと以下の「自然性条件(naturality condition)」を満たすように対応づける:
圏$ \mathcal{C}の任意の射$ f: A \to Bに対して$ G(f) \circ t_A = t_B \circ F(f)
いわゆる座標変換やフーリエ変換のような、これまで数学者が着目してきた「異なる見方の間の『自然な』変換」はこの定義を満たしている。
逆に言えば、これを満たすものは恣意的でなく「自然な」見方の変換になる(?)。
What matters is the many real interconnections, not the wholly artificial ones. (Mac Lane, 1997, p. 121)
圏論によるモデル化
https://gyazo.com/a3b1171b4a3f0e7836a9696da676f9b1
「段差の高さ」の圏 $ \mathcal{H}
対象($ h_i):段差の高さ
射$ A \to B:「$ Aは$ Bより低い」
「登りやすさ」の圏 $ \mathcal{C}
対象:$ EC(Easy to Climb)、$ PC(Possible to Climb)、$ IC(Impossible to Climb)
射$ A \to B:「$ Aは$ Bより簡単」
※これらは「前順序(preorder)」という圏の一種。
前順序:対象間の射がたかだか1つの圏
関手としての"form of life"
https://gyazo.com/97cf309007ca7c4fdb57bfb73112f9bf
「身長の高い人」と「身長の低い人」による異なる「環境の見方」をそれぞれ関手$ F_1, F_2として表現。
"form of life"の一要因としての身体サイズ
関手の条件(合成の保存):マッピングの「単調性」
「高い段差ほど登るのが大変」
自然変換としての実在性
https://gyazo.com/89f5388147bd4379258547ebdad4eaf9
2つの関手によって表現された「異なるform of life」$ F, Gの間には、自然変換$ t: F \Rightarrow Gが定義できる。
「世界の見方・観点」(の変化)と「そこからの見え方」(の変化)の間の法則的・整合的な依存関係
「もしも今と異なる観点から見たならば、それによって環境の見え方はどう(規則的に)変化するか」
このような変換構造こそが、Rietveld & Kiversteinら現代のecological psychologistらが議論してきたアフォーダンスの「在り方」ではないか。
自然変換と〈現実〉
何かが「実在」するかを議論するときにまず参照されるのが、自然科学(とくに物理学)が扱う「物理的対象」(あるいは「物理的世界」)の実在性である。
cf. 傾向性(disposition)解釈
しかし、20世紀以降の現代物理学(量子論・相対論)が扱っている「現実(reality)」とは、我々の「見ること」から独立した「実体」的なものではなく、多様な「見方」とそれに対する「現れ」の間の規則的な依存関係へと拡張されている。
相対論:物理量の記述は必ず何らかの座標系(視点)に依存するが、異なる座標系のあいだには座標変換が定義されており、「この視点から見ればどう見えるか」という対応関係は厳密に計算できる。
量子力学は、何かがどうであるか[how a thing is]については語らないが、どうなりうるか[what it could be]については(計算可能な確率とともに)語る。その際、ここが重要なのだが、そうした「なりうる」どうしの関係に関する論理に従う。もしもこれならあれだ[if this, then that]、のように。 
つまり、量子力学の性質を今できる範囲で本当の意味で記述するためには、従来の〝である〟主義[ism]をすっかり〝もしも〟主義[ifm]に置き換えるべきということである。……
フィリップ・ボール『量子力学は、本当は量子の話ではない』
こうした現実観の転換を可能にしたのが「変換」を基礎とする現代数学の流れであり、その一つの到達点が圏論(とくに「自然変換」の概念)である。
西郷・田口『〈現実〉とは何か』参照
アフォーダンスが実在すると主張するとき、それが実体的な「もの」(に内属する性質="property")を想定しているのであれば、そこで模範とされている「実在」観は、もはや物理学において捨て去られつつあるものかもしれない。
cf. Turvey, M. T. (2015). "Quantum-Like Issues at Nature’s Ecological Scale (the Scale of Organisms and Their Environments)"
https://gyazo.com/a620808866f8b1e32d5ce2248768a147
EAとEPの相補的関係へ
関手:生物による多様な「sense-making」のあり方
非規準性 ↔︎ 多様性・多元性・主体性
自然変換は、個々の関手(見方)に固着せずにそれらの間の動的な変換において現れる構造を捉えるが、一方でそれは関手から切り離して定義することはできない。
「個々のものに固着せず、個々のものをおろそかにしない」(田口・西郷, 2019)
sensorimotor activityおよびsocial interactionレベルでの自律性(Di Paolo, Barandiaran, De Jaegher, etc.):"form of life"の自己維持的側面の強調
環境との感覚・運動的な相互作用のあり方や、他のエージェントとの相互作用のあり方は、その個体の生物としての自律性に還元されない「それ自体の生命をもつ=独り歩きする」("have a life of its own")
Di Paolo, E. A., Buhrmann, T., & Barandiaran, X. E. (2017). Sensorimotor Life: An Enactive Proposal. Oxford University Press. https://doi.org/10.1093/acprof:oso/9780198786849.001.0001
「媒介のモノイド」としての自律性・自己
Hirota, R., Saigo, H., & Taguchi, S. (2023). Reformalizing the notion of autonomy as closure through category theory as an arrow-first mathematics. ALIFE 2023: Ghost in the Machine: Proceedings of the 2023 Artificial Life Conference. https://doi.org/10.1162/isal_a_00627
廣田隆造, 西郷甲矢人, & 田口茂. (2024). モノイドとしての自己:自律性への圏論的アプローチ. 人工知能学会全国大会論文集. https://doi.org/10.11517/pjsai.JSAI2024.0_4S1OS30a05
モノイド:対象が1つのみの圏
媒介:「AがなければBはない」という依存関係
https://gyazo.com/fb70bdf4a097fdfe9e572509aa284402
https://gyazo.com/b6b801c31229a9465c82316cb0b8edcd
反二元論としてのEPとEA
どちらも、認知主義・計算主義・表象主義的な知覚と行為の理論へのオルタナティヴを志向。
主体(subject)と世界(object)を、独立に想定した上で後から対応づけるのではない。
心身問題、記号接地問題、フレーム問題、etc.
両者の「間」の循環的な相互作用を起点とする。
An affordance cuts across the dichotomy of subjective-objective and helps us to understand its inadequacy.
反一元論としてのEPとEA
同時に「全てはその都度生じる相互作用の流れであり、『個体』や『世界』などは虚構や幻想にすぎない」という立場(関係一元論、Interactionism)にも抵抗。
(戯画化された)古典的行動主義や、Brooksらの初期の身体性アプローチ("Behavior-based Robotics")、そして今日のAIを含むコネクショニスト的なアプローチからも一定の距離を置く。
生物と環境の間の相互作用には、それに固有の一貫して現れる構造(かたち)がある。
その「かたち」を膨大なデータから(膨大な計算資源を用いて)復元することも可能だが、我々生物はそれをいわば "for free" に活用できる?
https://gyazo.com/d0ffab73127ee4366e78787a6d6a4d77
EPとEAの相補性
https://gyazo.com/f322ac1c5b8f3d28853af57606682cef
EA:主体側の構造=自律性を探究
EP:環境側の構造=アフォーダンスを探究
2つが合わさることで一元論でも二元論でもない知覚と行為の理論が完成する?
"Not One, Not Two"
Varela, 1979
「個々のものに固着せず、個々のものをおろそかにしない」(田口・西郷, 2019)