賭博罪の成立過程
賭博罪の成立過程
我が国の民法典は、賭博の効力について明確な規定を置かないが、この考え方は、「賭博」が、民法九O条の「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為」の一類型であるという解釈によって「賭博」の無効を引き出すものであることに異論はないものと思われる……法典上に現れない概念である「賭博」をどのように定義づけるかについては、今日の我々は、明確な解答を持ち合わせていないように思われる。せいぜい、「賭博」とは、「民法九O条に該当する法律行為の一種」であるとか、「違法な射倖契約である」程度の意識であるものと推察される。 終身定期金契約ならびに保険契約といった限定的な形でのみ、射倖契約に関する規定が置かれている日本法にあっては、賭博の無効という明文規定がないことも手伝って、民法九O条の適用といった、いわば実定契約の法理を「著しく射倖的」という形で射倖契約にも及ぼすほか、一定の射倖契約を無効にすることはできなかった。そうして、賭博とは、こうした交換的(実定的)契約論と配分的(射倖的)契約論の聞に存在する、未熟児としての地位を与えられたにすぎないところに、我が固における私法の問題のひとつが存在するようにおもわれるのである……この意味で、「保険は賭博とは言えないのか」という聞いは、現代型金融商品取引がなぜ一般的に賭博と言えないのか、という問いと同様に、私法上の問題として成り立たないようにおもわれるのである。 本稿では、私法における「賭博」概念が、博戯」と「賭事」という別個の概念を包括することによって登場したと指摘されています。以下に、源泉資料に基づいて賭博概念の成立過程を年表としてまとめます。
明治23年
旧民法典において、財産取得編第七章「射倖契約」のもと、第一節に「博戯及ヒ賭事」という表題で、博戯、賭事、富籤に関する規定が設けられる。
博戯は博戯者の勇気、力量、巧技を発達させる性質の体躯運動を目的とするものと定義。
賭事は体躯運動を為す人の為、又は賭者の直接に関係する農工商 Progress の為にするものと定義。
明治29年
現行民法典(明治29年民法典)の草案段階で、賭事の無効に関する規定が存在。
草案では、博戯と賭事という概念を包括的に捉え、「賭事」として一元的に規定。
草案第703条において、「賭事」は射倖契約を意味するものとして規定。
最終的に、民法典において「賭事」に関する規定は明文化されず。
明治29年以降
明治29年民法典において、典型契約の中に「賭事」を挿入することを断念。
賭博に関して、民法90条適用の可否という形で議論が深化。
大正時代
大判明治36年6月30日判決は、法律は公の秩序又は善良の風俗に反しない限りは射倖契約を禁止したものではないと判示。
大判大正5年8月12日判決は、契約の目的及び内容は契約自由の原則により各人の任意に定めることができると判示。
昭和時代
大判昭和22年3月30日判決は、賭博に負けた為に負担した債務弁済のために締結された金銭貸付の効力に関して、当該契約を無効とする。
最判昭和42年11月25日判決は、賭金債務支払いの為になした金銭借受契約上の債務を原因関係として振出した手形について原因関係上の抗弁を認容。
平成時代
東地平成2年3月29日、指定外商品であるパラジウムの私設市場における取引が、商品取引法二条の趣旨に照らし、公序良俗に違反する違法なものであるとされる。