認知行動療法的な言説に賛同しきれない
アンガーマネジメントとか自己責任論的なものとの親和性
社会や環境を変えていこうという動きに結びつきにくい
認知行動療法は本人の自動思考に惑わされず、行動とその原因となる認知の歪みを治すというコンセプトであるという認識。
障害の社会モデル的な考えを鬱にも適用するなら変革すべきはマインドセットではなく社会構造の方なのではないか 本来の認知行動療法のコンセプトにはもしかしたらそういうのもあるのだろうか。日本での臨床のされ方がこうなっているだけの可能性もある。
ざっと調べたが鬱病治療と障害の社会モデルを関連づけた研究は見当たらなかった
13 Reasons Whyにて、いじめを受けたキャラクターがトラブルを起こし更生施設でカウンセリングを受け、学校に戻ってくるも環境が変わってなさ過ぎて絶望し、銃撃事件を起こすというエピソードがあった そういうやるせなさを感じる
直接は関連しないが下記の論文が面白かった
著者によれば、過労によるうつ病の発症というプロトタイプは、男性に社会的承認 を与える治癒神話として機能する一方、女性には十分に機能しない。それは女性が悩む問題は職場や家庭のどちらにも収まりきらず、いまだ個人レベルでも社会レベルでも回復のための物語が見えていないためである
鬱の治癒に用いられる認知行動療法的な「物語」の特性と問題点
男性の場合は「労働による過労」というのが一つの神話として機能する
一方女性の場合は統一的な神話が現状存在しない
これは女性に限らず性的・人種的・社会的マイノリティ全てに言えることだと思う
つまり鬱やその治療という領域にあってもある種のマチズモは存在していて、しかもそれが(男性労働者という属性に限っては)実際に治療に寄与してしまう、ということ
そしてその「大きな物語」に包摂されない女性やマイノリティは治療が難しくなる、という…
要するに、鬱という障害が社会的な構成物であるというだけではなく、その治療や回復のプロセス、レジリエンスにも社会的な属性によって差が生まれてしまうということ
「障がい者」の問題で深く取り扱われてそうなテーマkbyshwtn.icon
障「害」ではない、みたいなやつ。小学校で習ったきりだけど。
2年くらい前に「がん治療における経済毒の問題」を仕事で取り扱うことがあった。厳密には社会モデルとは別の話だが、経済的な不安が治療に(人々が想像するより遥かに大きく)悪影響を及ぼす、という話を敷衍すれば社会がそのように構造化され、人々がそれを内面化しているから経済は毒になる、という話にもなるのかな。
広く「社会因」を問う系の臨床知は何でも関わるのか。
へー。
https://gyazo.com/e9f99e6320be2253957598c391bd06d8
単純に心療内科というフォーマットで解決できる問題レベルじゃない、という話はありそう。