憑在論
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議論の内容は、メディアやコミュニケーション、情報や金融など非物質的な商品が中心的な存在となった現在の後期資本主義において、人々の文化や生活がどのように生み出されるのか、特に日本においてJ-POPと呼ばれるポピュラー音楽の表現にその資本主義の影響が生まれているのかを例に挙げたあと、文化と芸術、社会と資本主義の関係をあらためて問おうとしたものである。 特にゴールドスミスでも教鞭をとっていた音楽批評家で文化理論家だったマーク・フィッシャーの「資本主義リアリズム」、資本主義とうつ病の関係、「ゆっくりとキャンセルされている未来」、フランスの哲学者ジャック・デリダの影響を受けてフィッシャーが提唱した「憑在論(hauntology)」などをキー概念としながら、ボーカロイド以降の日本のポップスの生産や流通、消費と歌詞で扱われているテーマについて議論した。 ここで具体的な例として議論したのは、日本において若者に広がっているある種の「拒否の文化」である。たとえば、2021年に若者を中心に流行したAdoの〈うっせぇわ〉という曲はそうした「拒否の文化」の典型的な例である。それは、上の世代に対する「拒否」であるだけではなく、上の世代から意味を与えられ上の世代が理解したつもりになることに対する「拒否」でもある。さらにいえば、それは「労働」や「結婚」、そして家族の「再生産」といった近代的な枠組みの「拒否」でもあるのだ。マーク・フィッシャーも影響を受けていたイタリアの政治哲学者であり、アクティヴィストでもあるフランコ・“ビフォ”・ベラルディは、こうした若者たちの状況、特に「ひきこもり(Social Withdrawal)」を分析し、それが一般的に思われているような「社会的な病理」ではなく、むしろ現代社会の歪みに対する「健康な反応」であることを指摘している。こうしたフィッシャーやベラルディの議論の有効性とその限界を議論しようというのがセミナーの目的である。 今フィッシャーが憑在論について書いてる本借りてるんですが貸出延長し忘れて返さないとになってますKai.icon
実はフィッシャー読んでないから読まなきゃな、って思っているところkbyshwtn.icon
フィッシャーとかCCRUとか下敷きにしたプロジェクト立ち上げるかも、みたいな話にもなっていたり。 気になる。
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