アクターネットワーク理論
ANTに則って論文を書くととにかく読んでられないほどつまらない論文に仕上がる、みたいな話をむかしゼミ生と話したことがある。割と妥当な批判だと思うし、逆に研究はつまらないものであるべきという倫理を見いだせなくもない。
し、そもそもANTの方法論を本気でやろうとしたら、論文とか文章みたいなフォーマットに頼るのがまず間違ってる気はする。
少なくとも論文よりはwikiがいいと思うし、もっと立体的?多次元的かつ動的なネットワークを示せるフォーマットで研究が行われるべきだと思う。
批判社会学的な世界認識を作っていくような役割を担う学問は別にあるべき?
「社会的なものの社会学」、特に批判社会学がこのような態度を採ってしまう理由の一端を、ラトゥールは一九世紀中葉に社会学者が「社会工学」に組したからだったと考えている。社会学者は多く「解放のプログラム」の使命を担い、啓蒙の役割を担ってきた。だから、「概念」を作り出し、それによってグループや世界認識を作り出す仕事をも行ってきた。人々に自覚していない「真の原因」に気づかせ、世の中を変えていく役割を担っていたのだ。その役割それ自体をラトゥールは批判しておらず、それを安易に援用する「即席社会学」よりも、自分たちのような科学的・客観的なアプローチの方がその使命をより全うできると主張している。
https://medium.com/kenchikutouron/ブリュノ-ラトゥール著-社会的なものを組み直す-アクターネットワーク理論入門-79e71d50b98
https://x.com/omnivalence/status/1094164567272284160
アクターネットワーク論がコンテクスト還元主義であるという単純な批判(グレアム・ハーマンにもそういう傾向がある、)を真に受けている人には、『社会的なものを組み直す』の仮想対談(アリ/ANTであることの難しさについて)を読まれることをお勧めする。まったく丁寧に反駁されている。
清水高志
ANTの俗流な理解とは?
#❌️ANT
ブルーノ・ラトゥール