D'Angeloが未だにピンとこない
ああいうリズムのオリジネーターと言われる意味はわかるのだが、そうだとしても未だにこんな評価されてる理由がずっとわからないままでいる。オリジネーターである、という事実を抜きにしたらいまさら聴かないなー、ってなってしまう。
単に趣味じゃないだけといえばそうなのだが、それで完結するのか、という疑い。
なんかリズムがどうこうはまじでコモディティ化してると思うのだが、どちらかというとあの一貫してある曖昧さをどう捉えるかな気がしてきた。
ピノの仕事がでかすぎる。
D'Angeloが過大評価だと言いたいのではなく、リズムがコモディティ化した今なお傑作のポジションが揺らがないのだとして、そう思えない自分の側の問題とはなにか、という感じ。
全曲がAfricaみたいなノリだったら好きになれてたかもしれない。
Spanish JointもOKです。
コモディティ化した今でも誰もこのグルーヴを出せてないだろ!とか言われたら、わからなさ過ぎて泣いちゃうかもしれない。
曖昧さとセットでこのグルーヴってことならわかるかもしれない。確かにいない。
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自分が偶然みずがめ座なのも相まって、Soulquariansにシンパシーを感じるなんとなく
ボヤボヤしている
話違うけどこの時代の奥まったキック大スコ
J Dillaとかも多用している
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歴史的にあのグルーヴのオリジネーターであることによって、発見されやすく人の記憶に残りやすい、インパクトがあるということな気がする。
単純に曲が超良くて好きだけど、これは自分がこのグルーヴの快感を知ったきっかけがvoodooであるという記憶が再生されて気持ちがいい。
「名盤」はこういう記憶が再生産されやすいのが強いと思うけど、それも今のリスニング環境的にはどうなんだろうか。
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僕は割と最近になってハマったけど単にこういう系のグルーヴの始祖です、という歴史的価値だけで聴いてるのとは違う強度は感じる。
単純にあのグルーヴ感だけに着目するとコモディティになってしまうけど、シンプルに何らかのアウラみたいなものがあるなとは感じる
全然話逸れるけど「取られた選択肢の集合」として作品を見る場合と「こうでなくてもよかったのにどういうわけかこうなったもの」として作品を見る場合で全然作品の現れ方が違うなと思う
名盤とされていて自分もそうだと感じるものの共通点として、何らかの力の張り詰め(tension)みたいなものがある
それはライブ感的なものであったり、プロダクションにおける何らかの方向性の突き抜けみたいなものだったりもする
本来バラバラであるはずの要素が一つの塊として成り立っているという存在論的なライブ感というか
そう考えるとディアンジェロは単純なアウトプットとしてああいうグルーヴを発明したことよりも演奏の強度とかサウンドプロダクションとかも含めて全体の有機的な結合の仕方で謎の張り詰め、テンションが生じているというライブ感で聴いているような気がする
これはなんかわかるkbyshwtn.icon
なんかブラックミュージック全般の特徴として、要素単位で見ると楽しめない、みたいなものはある気がする
ある程度気散じ的に聴かないとのれないというか
あと、ブラックミュージック全般は、ヘッドホンつけてじっと座って鑑賞…という構えだと掴みにくいです。低音よく出るスピーカーからそれなりの音量出して立って身体を動かして聴いたらなるほど!という会得があります。toreytak.icon