自分の音楽におけるクィアみと男性性
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「器官」以前
あまり主題として意識していなかった気がする
がマッチョなものは好きじゃないという意識は常にあった
出力としてはマッチョでもないがクィアでもない
そもそもあまり音楽性もはっきりしない
器官〜do youの過渡期
色々試した記憶がある
ファルセットをベースに歌うのを始めたのもこの頃だった気がする
今回のEPに入る曲の1つやdo youもこの頃作った
arcaを聴くようになった
エレクトロニックミュージックを本格的にやりたいと思いつつ、IDMにつきまとう脳筋性みたいなのと距離をとりたかった気がする。arcaでもdesafioが一番好きだったし
do you
今聴いてみるとまあまあクィアさを持つ曲だと思う
コロナ禍は自分にどういう影響を与えたんだろうか
学部時代はコロナ前からまあまあ引きこもっていたので生活面での変化はあまりなかった気がする
むしろみんなが自分のレベルで引きこもらざるを得なくなったことにホッとしてさえいたかも
まあ後々考えるとして
Waters
この辺から「擬態」みたいなことを言い出したために、自分のクィア性をそのまま出すみたいな姿勢からはむしろ遠ざかった気がする
「輪郭のあるもの」を作らねば、という義務感があった。自分がナチュラルに作るものは輪郭がわかりづらく、つかみどころがないのではないかという不安があった気がする。
それとスキル不足が合わさって「何がしたいのか分からない」みたいな状態
Watersを通して「何がしたいか」を実際以上にはっきりさせておけばその後自由に作れるようになるかもしれない、みたいな期待があった
ので「イケメンのフリをする」みたいなマインドで作ってた面がある
continue?
結果として男性的なアルバムになってしまったと思う
Watersから続いて「型」が先行している感じがある。
デモは学部4年から溜まっていたので必ずしもそうではないはずだが、リアレンジの時点で「輪郭」への意識がかなり強く働いたのは事実