ジャニコー
ドミニク・ジャニコー(Dominique Janicaud, 1937-2002)
当時のフランスの現象学(物事を先入観なしに「あるがまま」に捉えようとする哲学)では、レヴィナスやジャン=リュック・マリオンといった思想家たちが、「与えられるもの」や「他者」といった概念を探求する中で、それを神の「啓示」や「贈与」のような、宗教的・神学的な領域と結びつける傾向が強まっていました。
ジャニコーは、この動きを**「現象学の神学的転回」**と名付けて鋭く批判しました。彼は、哲学が本来持つべき合理性や客観性を失い、信仰や神学に安易に接近しすぎていると考えたのです。彼は、あくまで哲学は哲学の領域にとどまるべきだと主張し、より厳密で「ミニマル」な現象学を求めました。
彼が提起した「現象学の神学的転回(le tournant théologique de la phénoménologie française)」という言葉は、フランスの哲学者たち(ジャン=リュック・マリオン、ジャン=ルイ・クレティアン、ミシェル・アンリなど)を巻き込む一大論争に発展しました。フランスの思想界では、この論争の「火付け役」としてのジャニコーのイメージが非常に強いです。彼の批判は、フランス現象学の進むべき方向性を問い直す重要なきっかけを作ったと評価されています。
ジャニコーの仕事は、特に「テクノロジー」と「科学」が一体化した「テクノサイエンス」という概念の批判的分析の文脈で高く評価されています。彼の主著 La Puissance du rationnel(英訳:Powers of the Rational)は、テクノロジーがもはや単なる道具ではなく、合理性そのものを支配し、人間の経験を根本的に変容させる力であることを示した重要な著作として読まれています。ポストモダニズムや脱構築といった思想が席巻した英語圏の大陸哲学研究において、ジャニコーは安易な非合理主義に流されることなく、「合理性(rationality)」そのものの可能性と限界を問い続けた哲学者としても評価されています。彼は、技術という極端な合理性の問題と、神学という超合理的な問題の両方に、哲学的な合理性をもって対峙しようとした思想家として理解されています。