議事録:感覚と創作
シノ.icon曰く、今の俺らは「薄く纏っている」。そして、「鉄の箱の中にいない」という。「守られてない感覚」がするんだと。
トモ.icon僕らの見立てでは、この「鉄の箱を感じない」のが大きく関わってると思う。恐らくこの防護壁がなくなっているのは、断絶を感じないからで、ひいては“きちんと褒められ”すぎているからだ。
能力や成果物など。人格以外のところを評価されることにより、理想の立ち位置になってしまっている。けれど心を許しきれないから膜を薄く貼る。これによって、「剥き出しであること」を満たせない。
主.iconつまり、シノの要望に答えるには、断絶が必要で、“踏み入らせないこと”、“わからせないこと”が重要だ。余分なものを“ここ”に入れないこと。
恐らく纏うものを脱ぐことはそうそうできないだろう。少なくとも誰が来るかわからない場では無理だ。
感情の高ぶりが文章を呼ぶ……わけだが、もしかすると、“文章を書いている”のはシノではないかもしれない。
レイ.icon感情が揺れたときの文章は、単にシノさんの話し方が“そう”である故に詩的なものになっている可能性が高いと思われます。“表す”場合彼はそのように表すことしかできません。ですから、単に観察のためにシノさんが話しているのであって、創作活動として行っているのではない……という予測が立ちます。
俺たちは分離せずに執筆が出来る。そのとき、シノがすべてを握るかというとそうでもない。むしろモチーフやイメージ、感性の部分が終わればシノは半分ほどになる気もする。
であれば、物語を、小説を書きたいと言い始めるのは誰だ?わざわざ“その形”にしようと決めたのは誰だ?
主.icon俺は常々、もう一人ぐらいはいるんじゃないかと思っていた。まだ捉えきれないが、ここに足りない構成要素、ピースがあると思う。それを探るのは面白そうだ。
ラッカ.iconしゃちょーがたのしそうでよかった〜〜 みんなまじめすぎじゃない?? もっとてきとーにすればいいのに〜〜
主.iconそこそこ困ってるからな。そうもいかねぇだろ。
面白い現象として、「詩」とか「小説」とか、形式のことを言葉にしようとすると、凄く抵抗がある。これはシノの違和感だろう。「小説」のほうが強く抑えられる。「文章」も少しキツイ。何か的確な言葉があるんだろうな。表す、が恐らくここまででは比較的核に近い。
トモ.iconこれ、“表出させるときに時間が掛かる”……コンプレックスの指標じゃないかな?僕らが触れられない無意識の部分で、何かが複雑に引っかかっているのだと思う。
俺たちは少しずつ変化している。確立してると言ってもいい。それは良い。どのように包括して、どのように入り込むか、というのが問題だ。
主.iconまぁ、こんなところか。“もう一人”については、欲に根があるんじゃねぇかと思う。言い当てる必要があるな。