精神的脅威を与える人々を組織でどう扱うか
最初の見出し:心理的安全性があり、精神的安全性が脅かされる状態とはどのようなものか?
自分の無知、無能、コンプレックスなどを容赦なく突かれるという侵攻が無いこと
この定義からすると、「対人関係のリスクを取れる」という心理的安全性が確保されていると、精神的安全性は基本的に担保されないということになる しかし、ぼくが理解する限りにおいて、心理的安全性が担保されているところでは、「無知・無能・コンプレックス」を突くような指摘をしたとしても、それが対人関係のリスクにならない、という雰囲気があるということになる 注:ぼくは恐れのない組織を全部読んでいないので心理的安全性のことを知らない 心理的安全性の概念についてはおいといて、このようなことがどのように可能になるのだろうか?
考察1:あげられているそれぞれに対して、対応する環境
優秀であるが、問題のある人。優秀故に他人を見下したり、協調性に欠けるなどのやつだろう。
たとえば:「この企画、オレが3人いたら出来ますが、コイツらに出来るとは思えませんね。実現可能性低くないですか?」
これに対し、どのように返せば心理的安全性を確保したまま彼を扱えるだろうか?
「優秀なきみのことだから何か論拠やデータが存在すると思うのだが、どうしてそう思うんだい?」
これはちょっと嫌味ったらしいし悪手か。会議内の指摘において、直観を否定する雰囲気になりかねない。
直感的にヤバいかも、と思っても言い出せなくなる可能性がある
論拠の提出を求められるかも、という葛藤
「たしかに、数値上きみの方がこの能力においては優秀だね。では、どうしたら“このままの人員で”実現が可能になると思う?」
これはよさそう。きちんと場にデータ/意見と人格は別であるという雰囲気が存在するのであれば、ただの罵倒から有意義な意見を引っ張り出せる可能性がある。
もし彼がこの問いにすぐ答えられないか、荒唐無稽な回答をする場合、たぶんそいつは能力が低い
最低でも、「この期間でどこまで出来るのか」という予想を喋れないのなら、目算を付けてないまま喋っていることになる
とすると、何も思っていないのに士気を下げる発言をしたことになり、おそらく指摘は無効になるだろう
その場や組織において価値観が著しく異なる少数派のこと
これについては、価値観という点においては、多様な価値観を受け入れる土壌があればそんなに問題にならない気もするんだよな
きちんとその人の価値観を深掘りし、仕事上においてどのような価値観を重視するのか、ということを知っていればあるていどのことが出来そう
もしシステム的な面でどうしても組織側がその価値観に合わせられない/またはその逆の場合は、合う方法でやってもらう
たとえば、もし「拘束される会議は本当に無理」という場合は、その人抜きで一度会議をして、その議事録をScrapBoxとかに上げればいい
あるいは、「その時ScrapBoxを開く」みたいなことをしてくれるのであれば、リアルタイムで議事録を書いて、そこに突っ込んでもらえばいい
こちらから価値観の呈示をしていくのが相互理解的にいいんじゃないのか
今回ウチはこういう価値観と、こういう点の重視でいくよみたいな
つまりビジョンの呈示を都度行い、それに別の価値観からのツッコミをしてもらうという方式を取れば有効であろう
価値観違う人(でもしっかり価値観を伝えたり、その価値観を理解できる形で表す人)がわりと好きなので、これで脅かされる気持ちがわからず。このへんはむずい。
エクスポーザー
全部を人目気にせず言語化して晒す人
……この人が「え?引くわ……」って思われる環境はそもそも心理的安全性が確保されていないだろう
だって、心理的安全性ってたぶん「気になったことをなんでもいっていい気風」でしょう
人目とかを気にして言えないことがある、というのは心理的安全性の逆
「いいところも悪いところも書く」なら全然成り立つんじゃないか?
人の悪いところだけ書くとか、失敗の要因を人に帰属しまくるとかすると問題かもしれない。
もし組織上で制御するなら、「直接の原因が人だったとしても、システム側の改善を考えてみてくれ」みたいな話をすることになるかなァ
あと工夫としては、直接対面で言わないとかか。
組織を動かす側が把握してればいいんだから上司にだけ見せるとか
で、上司がいいかんじに加工(能力と人格の剥離とか諸々)をしながらその人に伝える
見れるけど直接ではない、みたいなところに書くのでもいいのかなという感じはある
チャットとかだと返信しなきゃ感とか話しかけてる感みたいなのが出るから、書類とかScrapBoxでひとまとまりで書いておいてくれたら人間の心はえぐれなさそうだしめっちゃ助かりそう
アンリーダブル
人並以上の生産性は出せるが、読解や保守が困難なものしかつくれないこと。そのような人のこと
これは難しい。もっとも素朴な案としては「いや~正味、あの人の作ったのの保守はしたくないっすね」と言える気風だろう
アンリーダブルの作るものには明確に運用上の問題があるため、指摘を行ってもいいし、改善を求めてもよい。
ただしアンリーダブル自身の手、のみで改善することは相当困難だろうから、まずは「そのことを言っても良い」という心理的安全性の確保だろう。
その後で、誰かが根気よくそれに付き合う、というのが重要なのではないかと思われる。
つまり「あきらかに運用上の問題があるのだから、その問題の解決のために動くし、協力してもらう」ということ
具体的には、読解力が高い人が側につき、逐一「言ってるのはこういうこと?」と確認を取る。合っていたら「そう」と言えばいいし、間違っていたら「そうではなく、」と改めて説明をすればよい
そうしてるうちに、恐らく「その人用の読解マニュアル」もしくは、「その人の読解を出来る人」が出来上がっているはず。
やりとりの中でアンリーダブルが「まだギリギリ伝わりそうな言い方/やり方/作り方/伝え方」を身につけるとより最高。
この中では諦めないことが基本的に重要。「わからん!」と言ってもいいが、理解することをあきらめてはならない。
理解を諦めた瞬間、それは「読解や保守が困難なもの」が永遠に残り続けることになる。
彼らに付き合って読解することは、得意な人と不得意な人がいて、たぶんぼくはそれに給料が出るなら喜んでやる
これ心理的安全性が確保されていて精神的安全性が脅かされる状況の考察じゃないな。
「このような人々をどのようにコントロールすれば組織が上手く回るか」だわ
なんかそれはそれで満足したので筆を置く。