対比による強調のループ構造
真逆のものや対極のものを対比して描写することで、強調することができる。
暗闇の中の光
死に近いからこその生
無彩色の中にある彩色
この強調の特徴に、“先に描写されたものが後に描写したものを強調する”という構造がある。
(これは地と図の構造に似ている気がする。先の描写が地として背景になることで、後の描写が図としてくっきり形を持つ)
故に、反転させても強調の関係が成り立つ。(ルビンの壺の錯視のように)
光溢れる中の影(暗闇)
全力で生きた中の死
彩色溢れる世界の無彩色
つまり、対極の性質を持つ概念は、交互に描写していくことで、強調をループさせていくことができる。
https://gyazo.com/4524534a07f2aa0dbd6ed42dbeb283dd 図1
ここで特筆すべきなのは、「概念Bによって強調された概念A」は、概念Bを強調するときにより強調を強める。
同じように、「概念Aによって強調された概念B」は、概念Aを強調するとき、より強い効果がある。
図1のようなループ、正確には「描写による強調」が行われる度に、「概念A」と「概念B」の観念(?)がより強く読者に届くことになる。
あまり多用するとただただ読みづらいことになるが、物語全体を通して、この強調ループを行うことで、作品の中に一つテーマや軸が存在するように思える。
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ここまで書いて思ったけど、図と地の関係の中で強調ループを行うには工夫が必要そうだ。
無力とあこがれの文脈では、主に一人称で描かれるので、自らの無力に溢れた世界(諦観に満ちた、無彩色な世界)を地(背景)として使い、あこがれの対象が放つ彩色を図として表す。 ここで、彩色に溢れたあこがれを、ただくっきりとした形として、だけではなく、世界を侵食するような光であるように描写するのが大事だろう。地を図が侵食し、食らう。
そうすることによって、地が彩色へ変貌し、自らの持つ無力(無彩色)を図としてくっきり感じることとなる。
強まった諦観がまた主観世界を侵食することで、もう一度地と図を反転することが可能だ。