世界の美しさについて
みんな、知らないフリしてる
世界の美しさに向き合ってたらだって生活してる場合じゃなくないですか???
陽の光の暖かさとか青空の深さとか木漏れ日のあの感覚とか木々の葉擦れの音とかその攫った風が春なのか夏なのか秋なのか冬なのかによる感触の違いとか、そういうものをずっと書き残して記録して記憶するために生きるしかないじゃないですか
仕事して生活して飯食ってみたいなことしてる場合じゃなくない?公園にずっといたりとか山に向かい続けたりとか散歩し続けたりとかそういう世界を感じるための記述をずっとする以外ないじゃん
それをしないのって、みんな死んだら困るからで、生活を仕方なくやらなくちゃいけないからで、それをしなきゃいけないからじゃん
それを効率的にやるためにその向き合い方が邪魔だから、それをしてたら生活出来ないから、みんな知らないフリをして見ないふりをして来ただけじゃん
僕程度がこんな風に見れるんだからこんな程度の観方全員がやってて、全員が持ってて然るべきじゃないですか
いや思えるんだよ、考えられるんだよ
何を他人事みたいに言ってるんだよ、これはお前が持つべきものであって、別だからとか違うからとかじゃないんだよ、僕が出来るんだからお前が出来るに決まってるじゃないか
おまえが知らないフリを続けるから僕がこれを言い続けなきゃいけないんじゃないか、ふざけるなよ
お前がこれを持ってちゃんと世界を見ろ、お前は、お前は出来るに決まっているんだからマジで、なんなんだよ
生活が出来なくなるっていうんだったらそんなものできなくなっていい。死ぬっていうなら死ね。僕が死ねるようにしてやる。世界のために死ねるようにしてやるから、何も持たずに存在をしろ。
社会も関係も何もかもいらないからそこに存在をしろ、存在して息遣いを感じろ、自分の。相手の。
その息遣いが目の前に出てきたときに、世界が目の前に感じられる。目の前にある世界がこんなにも美しくて向き合ったら終わりのファム・ファタールのような魅力があるということを味わって、全ての生活を投げ出して狂え、そんなことをしている場合じゃない。何もせずただ世界を記述するために存在し、世界の一部であるように存在しろ。
お前の存在が、その存在の息遣いが、どうしようもなく尊いのだから。