ところで、あれは傾聴なのか?
このページ名は2023/08/01時点のもの
主観的には、cman.iconはこの議論で「直観的に“不自然”なところ」をつついて、「相手が認めた部分と理屈が合わないところ」を提示しただけというかんじ
これがいい感じになったのは、Summerさんが相当理屈の人だからだろう
感情があるときに、「それはそれとしてたしかに矛盾している」とか、「こう論理を立てたが微妙におかしい。これは感情な気がする」とかを判定できる論理ぢからがあるからうまくいってる
なんならぼくは「個々の解釈なのでは?」という最初のやつはわりと喧嘩するつもりで書いてる
注釈:「喧嘩するつもり」とは、「相手が感情的になる可能性を見据えた上で議論を仕掛ける」ということである
なぜかというと、admin権限につきまとう葛藤や批判の苦しさを知っていて、「や、この書き方だと“気にしないで”と言っても気にするだろう」と思ったから
管理者はある場面において、慎重に強権を振るわないといけないが、周りに強権を振るうことに批判的な空気があると「仕方なく、慎重に、苦しみながら強権を振るったのに、批判をされまくる」というのが起きる
まぁ井戸端で起きるかどうかは知らんけど
でも起きるとやなんでふっかけとくか!みたいな
ん〜〜〜〜でもやっぱり傾聴ってかんじではないよな
どちらかというと、論理反駁療法っぽいかんじ。不合理な信念を合理的な信念に持っていくということ ほんとうはもっとかかるんだが、Summerさんが「不合理に気づくと合理的な方に修正する」「不合理な部分を感情として切り分ける」という操作を行える人だったので早かった
そして「〜じゃないですか?」と聞くだけで気づくので楽で仕方なかった
こっちから反論を当てるよりクライエントが自分で気づくほうが信念とか態度を変えるのには早い……と思われる
人を勝手にクライエントにするな
この感じ、なんかうまくいったけど、なんかコツつかんどきたいな
何を考えて書き込みしてたか覚えていない