「私がそう思うから」という根拠
これらは「一般的」「常識」などに当てはまることがある
その人自身が自覚なしに、そのような言葉で信念を語ってしまう時がある。
客観的な裏付けがない限り、という但し書きがつくが。
故に、この論拠(当然そうだから)が発話されるときは一人称的な意見、主観的な意見になるのが正しく見える。
「私がそう信じるから」という内容が正しい場合がほとんどだ。
「私がそう感じるから」「私がそう思うから」というのも含まれる
ちなみにこの文も正しくは「私はそれが正しいと思う」だろう
にも関わらず、三人称的な議論、客観的なものをベースにしようとするままでこの発話がなされる時がある。
客観的でありたいなら、「当然そうだ」と思っているものについては、裏付けがなければ差し控えるべきだ。
裏付けがあるなら、その裏付けだけを投げればいい。
主観的になった瞬間、客観的議論でやりたいこととはズレると思う。
主観を客観のように取り繕ったまま扱うのは、欺瞞になりかねない。
cman.iconが思うに、「私がそう思うから」という根拠が出た瞬間、議論のレベルを「主観的議論」にするべきだ。
この根拠が成り立つのは「主観的議論」の場でのみだから。
どのように客観っぽい表現をしていても、主観である以上否定できないから。
また、否定されること(反論)を発話者が拒むから。
であれば、不毛になる前に主観を軸とした意見交換に切り替えるべきだろうと思う。
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……かな?
書いてる間に書きたかったこととズレた気がするが、まあいいや。