Xになろうとする矢印の動きが尊いのであって、何かがXであるわけではない
タイトル仮
例えば:かわいくなりたい
人間が今の状態(O)から、カワイイ状態(X)になろうとする努力がある
そのO→Xの、→の部分がカワイイであり、尊いのであるわけで、実際にXという地点があるわけではない
→の部分をカワイイとか尊いとか言っているのであって、「Xではないのでかわいくない」という主張をされてもこまるよ
なんかちょっと足りてない感じするな
ぱっと思いついたとこではあるけど、わりと根底にこの思考がある気がするな。
自分が停滞していることに非常に嫌な気分がつきまとうのも、この→が存在しないからではないか。
点が嫌いで線が好き。