即興小説〈溶けるほどあまく、〉
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昔から、手先が不器用だった。折り鶴をきちんと折れたことは一度もないし、飾り付けのための工作だって何度も失敗して泣きそうだった。とても小さい頃は、ドラマなんかをみて、旦那さんのネクタイを締めるお嫁さんに憧れていたものだけど、そういう失敗を経験するうちに、どうやらわたしには無理らしいということに気づいてきた。
だから、もちろん。こうして好きな人に渡すチョコレートが失敗するのも、当然と言えば当然だった。
やれることはやった。漫画で見るような失敗はしていない。テンパリングのことはきちんと調べたし、レシピや料理動画を見て何度も復習し、イメージトレーニングだってやった。もちろん複雑なものは出来ないとわかっているから、本当は作りたかったガトーショコラを諦めて、溶かして型に流し込むだけで作れるものをチョイスした。
けれど、この有り様だ。型を取るときに力が入って欠けたハート。お湯が入ってしまったのか、何かを間違えたのか、白い油分が浮いている。ベタベタの手と台所の掃除は母に手伝ってもらって一時間かかった。身も心もボロボロだから、このハートはわたしを表していると言える。しかも、ラッピングが待っている。チョコはきちんと準備したのに、これの予習は頭から抜けていた。結果、ぐちゃぐちゃとリボンが絡まった、どうしようもなく不格好なプレゼントが出来た。
わたしはため息をつく。ほんとうにこんなものを、あの人に渡さなくてはならないのだろうか。やめたほうがいいのではないだろうか。ネガティブな考えがうろうろと頭の中をさまよい歩き、わたしもうろうろと部屋の中をさまよい歩き、うっとおしいから早く寝て、と妹に言われ、ベッドに叩き込まれて数時間。ぐるぐると頭のなかで考えが巡るうちに朝は来て、遅刻寸前のわたしは、朝ごはんを急いで食べて、妹にチョコを入れられたままの鞄を持って家を出た。
一時間目、二時間目、と学生としての時間が過ぎていくたび、「ぐちゃぐちゃのチョコレートがある」と鞄を見て思う。そして瞬間的に、渡すか、渡さないか、を考える。
ちらり、と目線を送る。さらさらした髪の、眼鏡を掛けた男の子。瞳の奥がやさしくて、字がきれいで、わらうととってもかわいい。ちょっと内気で引っ込み思案で、教室の隅が似合うけど、それは決していやないみじゃなくて。なんか、そう。シロツメクサの花みたいなさりげないかわいらしさだ。
彼が、わたしのすきなひと。きっかけのことは覚えてないけど、強いて言うなら板書の文字。出席番号で当てられて、前に出て書いたときの指先が、とてもきれいで。それに呼応するように、書かれた文字も完成されてた。ちらりとノートを盗み見たとき、その整然さに胸を打たれた。ほんとうは、わたしもあんなふうに、きちんと丁寧に取りたいのだけど。
そうして見ているうちに、ひとつひとつの所作の丁寧さとか、すらりとした指の美しさとか、そういうものに惹かれて、ずっと目で追いかけるようになった。だから、よく目が合うようになって、目が合うと、なんだかすこしごまかすように、ほんのすこしだけ笑う。その笑顔もかわいくて、わたしはいつのまにか、彼の虜になっていた。
最近は、ほんのすこしだけ話すようになって、挨拶が返ってくるようになって、たまに、寝てたふりして、ノートを見せてもらったり、写真を撮らせてもらったり。ちょっとずつ、ちょっとずつ、なんだか、深まっている感じがして。
だからこそ。だからこそ、なんだけど。ぜんぶがぜんぶ、だからこそだ。
だからこそ、わたしは彼に、チョコレートを渡したい。だからこそ、わたしは、このチョコレートを見せたくない。でも、彼だからこそ、このチョコレートを渡せるきがする。
ぐるぐる、ぐるぐる、思考が回る。気づけば時間はすぎていき、まともに授業もきかずに、昼休みになっていた。
「……あの」
ひかえめに、細くて高くて澄んだ声が聞こえる。喧騒の中でもわたしの耳に染み入る、彼の声だ。
わたしはびくりとして、彼の方へ身体を向ける。なんでしょう、とか、どうしたの、とか言おうとして、詰まって、変な声が出る。そして、それで彼が、慈しむように笑う。
「ノート。だいじょうぶですか? すみません、あの……取ってなかったような気がして」
いわれて、わたしは自分の机の上を見る。さきほどの授業は国語だったはずだが、数学の教科書が広げられていた。当然、ノートも数学のものだし、それも真っ白だ。わたしは、ごくりと喉を鳴らして、呼吸をして、なんとか言う。
「え、ええと。だいじょうぶ、では、ないけど。だいじょうぶ」
「……えっと?」
しまった、と思う。彼が、こてんと首を傾げる。かわいい。ではなくて。
ふぅ、ともう一度、ちゃんと深呼吸をする。ノートだって大事だし、ほんとは彼の文字をずっと見つめていたいところだけど、今重要なのは、それではない。
……そう、たぶん、これは天啓なんだと思う。さらさらと、冷たい風に揺れる彼の髪。それは陽光に照らされて、暖かく見える。
大丈夫、大丈夫。彼なら、きっと、やさしく微笑んでくれるから。
「……ちょこ、れーとを」
あの、とか、えと、とか言いながら、わたしは、カバンからぐちゃぐちゃのリボンが巻かれた箱を取り出す。それを、おずおずと彼に差し出す。
彼はそれをみて、きょとんと目を丸くする。そうして、じっと三秒、その箱を見て、わたしの顔を見て、箱を見る。顔が熱い。
「……ぼくに?」
びく、と身体が跳ねる。もうなんだか限界になって、上ずった声で弁明する。
「いやっ! あの、ほら、いつもノートとか、お世話になってるし、そのお礼っていうか、いや、がんばったんだけどさ! わたし不器用だから、ほら、その……や、こんな感じだけど、味には違いがないっていうか、いやチョコもちょっと失敗しちゃったし、もしかしたら違うかもだけどね!? 迷惑だったら捨ててもらって良いっていうか! そのっ……」
うつむく。彼のことを見れない。あたふたと言い訳ばかり並べて、ほんとうに不格好だ。ぎゅっと、箱を持つ手と反対で、プリーツスカートの裾を握る。頭の内側が熱を持っているし、蒸発しそうなほど熱い。
もはや沙汰を待つ罪人のようなきもちで、目をつむって待つ。おそらく十秒にも満たない時間が、永遠にも感じられた。
ひゅ、と風がなるような音がして、ふと顔を上げる。ふわりと、箱を持つ手に手が添えられる。
「……ありがとう。ぼく、その、こういうのもらったことないから。うれしいです」
陽光。春を待つ日のひだまり。
彼は、ふわりと、天使のような、けれど気恥ずかしげな笑みを浮かべて、わたしの手からそっと、箱を奪い去る。その鮮やかさと、丁寧さにまたわたしは鼓動を早めて、あたまがくらくらする。寝不足の頭にはちょっと刺激が強すぎたようで、身体もふらつく。
「あっ。……だいじょうぶですか?」
と、同時、彼がわたしの手を握る。それで身体は倒れるのをやめたけど、鼓動の高鳴りは加速する。
わたしは、あ、とか、え、とか、いろんなことばをいっぺんに言って、いちど呼吸をして、吐き出す。
「ご、ごめん。だいじょうぶ。……その、ほんと、不格好で、ごめん。捨てちゃっても、いいから」
すると、彼は、じっとまた、自分の手にある箱を見て、ふっと穏やかに笑う。
「捨てないですよ。頑張って、作ってくれたんでしょう? ……それに、その、ちょっとだけ、期待してる、というか」
彼はそこで少し口をつぐんで、目をそらす。
「え、あ、味を? ご、ごめん、たぶん期待には添えない……」
「いえ、えっと、そうじゃなくて。……本人に、いうことじゃ、ないと思うんですけど」
恥ずかしそうにためらって、それでも、何かを決めたのか、どうしてもいいたかったのか、わたしを覗き込んで、すこし近づいて、囁くように言う。
「手作り、なんですよね? きみの。……だから、ね」
ちょっとだけ期待、するじゃないですか。と、とても丁寧な発音で、彼は言った。恥ずかしそうに、けれど、わたしを見つめながら。
わたしは頭の中で処理する。手作りだと期待する? なにを? ちらりと彼が目を落とす。そこには開きっぱなしのわたしのカバンがある。中には教科書だけがあって、チョコの箱はもうなくて。
「……ぁ」
と、わたしはつぶやく。ぞわりと熱が昇ってきて、教室へ意識を向ける。
教室の中には生徒たちがお弁当やお菓子を広げていて、けれど、目線はそこではなく、ちらちらとわたしの方に向いている。あまり話したことがない人もいるけど、その中にはわたしの友達もいて、なんだかやたらとにやにやしている。
澄んだ声だけ聞いていた耳が、意識を取り戻して、周囲の喧騒から言葉を拾う。
「へぇー、あの子がねー」
「一生手作りしないって言ってたのにねー」
「あれ、ぜったい本命じゃん……っ!」
「え、何? 公開告白?」
「バカお前、だから彼女出来ねえんだよ」
「お礼って口実を大事にしてやれよ、乙女心わからんのか」
つまり、わたしは、こんなに人がいる中で、一生しない、と言っていた、手作りチョコを、がんばってラッピングまでして、彼に渡したわけで。
それは、つまり、それは……
ふと視線を戻して、彼の瞳を見つめる。硝子越しのその瞳には、いつものような、慈しむようなやさしさを、通り越したような甘やかさが潤んでいて。
「……期待、して、いいんでしょうか」
その指先が、大切そうに、丁寧に、ぐちゃぐちゃのリボンを撫でて。暴力的な甘さが、わたしの中に襲いかかって――
「――きゅぅ」
――がたん、と音を立てて、わたしは倒れた。
保健室に運ばれたわたしが、あらためて彼に、そのチョコの意味を伝えて、恋人同士になって。
そして、教室中からひやかされてまた真っ赤になるのは、それからちょっと後の話だ。
即興小説〈溶けるほど甘く、〉
お題「チョコレート」「ネクタイ」「写真」
チョコレート
甘さ、ほろ苦さ、攻撃的な甘味
愛の象徴、義理と本命
ネクタイ
きちんとしたもの、規範、規則
気を引き締める、集中、仕事モード
ネクタイを付けてもらう
ネクタイをちゃんとしめれない人
窒息
写真
想い出を残す、過去を未来へとつなぐ。
セピア色
損傷、破れ、塗りつぶし
想い出からの消去
いい思い出と悪い想い出
幼少期、あなたのことを知ること
アルバム