演奏家の謙遜について
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ショパン作曲 スケルツォ第2番の最後
これを書くと一部の方から嫌われそうだけど、やっぱりに気になるし、ちょうどそんなことを書く機会があったので。
演奏後に「お聴き苦しいところがあったと思いますが…」のように、ご自身の演奏ミスに言及される演奏家がたまにいらっしゃいます。謙虚さから来る謙遜なんだろうし、クセなんだと思いますが、僕はあまりしないほうが良いように思っています。
そういうのは今更したところでしょうがないし、ミスに気づかない・気にしない人が多数だろうし、アーティストであるからには堂々としていれば良いと思う派です。それに極端に言えば、演奏家側からの逆の意味での"評価の押しつけ"のように感じられることもあります。聴衆からすれば「良い演奏だと思った自分の評価は間違っていたのかな?」って、思ってしまいますよね。
「本当に良い演奏」というのは、ミスがあっても素晴らしいものです。むしろミスにこそ人間らしさや生演奏らしさがあり、それも芸術の一部に感じられることもあります。ミスの有無を気にするより、ご自身らしい、こだわりのある演奏ができたかどうかが大切…と思っています。
それに関連した小話。ショパンのスケ2の最後の跳躍は「外してもいいから速く打鍵せよ」と言ったピアニストがいます。なぜなら、本当に素晴らしい演奏なら、最後の小節の時点で既に万雷の拍手が始まっているはずなので、最後の音は正確には聴こえない(何か鳴っていれば良い)から、だそうです。そういう演奏がもっと増えるといいですね。
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