📚まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書
202550216
原理編
第1章 アーギュメントをつくる
論文とは、ある主張を提示し、その主張が正しいことを論証する文章である。
**ルール① 論文はアーギュメントをもたなくてはならない。**
アーギュメント=論文の核となる主張内容を一文で表したテーゼ。
テーゼ=論証が必要な主張
多くの論文は、アーギュメントを持つことに失敗している。
事実は、アーギュメントではない。
アーギュメントは、読者から「本当にそうなの?じゃあやってみろ」と言う反応を引き出すもの。
論証なしに納得してもらえない主張、論証を要求するような文。
→「本当にそうなの?」を引き出すのがアーギュメント、といえそう。
論証なしに誰もが納得するものでなく、むしろ反論可能であるときにのみ、その主張はアーギュメントたりうる。
**ルール② アーギュメントは論証を要求するテーゼでなくてはならない。**
**ルール②‘ アーギュメントは反論可能なテーゼでなくてはならない。**
自分が何を主張したいのかの明確化は、他動詞モデルだとそれぞれの要素で用いている言葉を研ぎ澄ます作業にできる。
AがBをVする、というモデル。
Vに強い言葉を用いると、アーギュメントも強くなる。
受動態を避けることができる。
第2章 アカデミックな価値をつくる
論文のアーギュメントの良し悪しはどこにあるか?アーギュメントの価値の内実を正確に言語化することができれば、良し悪しがわかったということ。
**ルール③ アーギュメントはアカデミックな価値をもたなくてはならない。**
アカデミックな価値を調べるには、先行研究のリサーチが必要。
論文には問いが必要とされているが、論文の成否には本質的に関係がない。
問いを立てて答えても、論文の成立における十分条件にはならない。
なるのは、問いの「答え」がアーギュメントになっていて、そのアーギュメントにアカデミックな価値がある場合のみ。
先行研究からの引用とそれに対する批判が価値のつくりかたと関係あり。
アーギュメントは、学術活動の会話に参入するものでないといけないから。
引用によって自分のアーギュメントが今行われている会話を更新であることを示す。
会話に参加しながら、そこに新しい要素を加える。そのための、批判。
否定と主張のセットが、アカデミックな価値をつくる必要条件。
**ルール④ アカデミックな価値は引用と批判によってつくられる**
批判には、なぜそれを行うことが重要なのかを説明する責任が生じる。
広く当たり前と受け入れられていることを引用・批判すると、自分の主張の価値は大きくなる。
そういうのんほど批判はむずいが。
そもそも論文とは何で、論文の価値とはなんなのかを理解・把握したうえでレポートなら卒論に取り組むべき。それを知ったうえで失敗しないと、その執筆から論文について学ぶことは何もないから。
第3章 パラグラフをつくる
イントロ・本文・結論で構成される論文の本文は、パラグラフ・ライティングに従って書くルール。
パラグラフ・ライティングは、執筆を助けてくれるガイド。目的ではなく、方法。
論文とは、イントロで飛躍したアーギュメントを示し、本文で論理的なパラグラフでその飛躍を埋める文章。
パラグラフ・ライティングでは、
1)1つのパラグラフでは1つのトピックについて書く。
2)パラグラフは冒頭のトピック・センテンスとそれを支えるサポート・センテンスからなる。
1)を利用し、パラグラフになるかを常に問い、パラグラフごとに別のトピックを与えることを自分に要求する。さらに、2)のトピック・センテンスとは、「パラグラフ・テーゼ」のことであり、パラグラフごとにそのテーゼについて論証することを必要とさせる。
このテーゼの論証を、サポート・センテンスにより行う。
**ルール⑤ パラグラフは冒頭にパラグラフ・テーゼをもたなくてはならない。
パラグラフ・テーゼをつくるには、メモを利用して組み合わせれば論証できそうなテーゼを捻り出せばよい。
アーギュメントを論証するための材料を集め、それを組み合わせて論証できるテーゼを作っていき、その繋ぎ合わせにより飛躍のあるアーギュメントまでの論証を階段状に積み上げていく。
パラグラフは、思考のリズムを手に入れるための単位。
実践編
第4章 パラグラフを解析する
執筆力よりも読解力の方が高いと認識しがちだが、実際執筆力と読解力は一緒。書くときには、読むのだから。
ちゃんと文章が書けているか、論証できているかを判断するには、読解力がないとできない。
論文を書くために、書く前にアカデミック・リーディングを。論文を書くという目的から逆算された読み方。
文字数に注目。初学者の文章は、大抵パラグラフの文字数が少ない。
論証が不十分なことが原因。
センテンスに分けて、その抽象度を測る。
テーゼが5、ただの事実が1とし、書き手の解釈が含まれていればそれに応じてレベル分け。これにより、どのレベルの記述が希薄かがわかる。そこを補強。
自分の書いた文章を自己批判できるようになるための、パラグラフ解析。
第5章 長いパラグラフをつくる
初学者は、パラグラフが短い。
議論が粗雑であるがゆえに、そんな書けない。
議論が雑であるのは、致命的。冒頭だけで否が決定してしまう。
査読を通す目的においては、冒頭からこいつは書けるなと思わせ、そのままの印象で読み切らせる力が必要。
調べた情報を使うのは、簡単なようでいて難しく、トレーニングが必要で、意識的に身につける必要がある。
初学者の文章がスカスカになるのは、この難しさから。つまり、ファクトをうまく盛り込めていないから。
パラグラフに盛り込める可能性のありそうなデータ・記述は、片っ端からメモする。
抽象度5につなげるために、ファクトに2〜4の抽象度を盛り込む。
書かれていたことを自分の理解で述べるパラフレーズ。
読解・引用・執筆のあらゆる局面で必要な、思考そのものといっても過言ではない最重要テクニック。
単発の長いパラグラフを何本も書くというトレーニングにより、練習を行うことができる。
パラグラフ・テーゼの作成と、長いパラグラフの作成の両方の練習を。
第6章 先行研究を引用する
先行研究について調べたからといって、それを引用できるわけではない。
読むことと引用することには距離がある。
引用するという目的を持って資料を読まねば。
先行研究からのデータの取り方
研究所とジャーナル論文で2色に分けてハイライト
本文中の引用箇所を同じ色でハイライト
参照されている文献を可能な範囲で手に入れ、書籍や論文のどの箇所から引用しているかを調べる
論文を「読む」とは、アーギュメントを発見すること。
読むと言うよりも、まず全体をスキャンしてアーギュメントを見つける。
アブストラクトを精読。センテンスごとに解析をする。
アーギュメント部分にハイライトを。アーギュメントのみに、ハイライト。
アーギュメントを見つけたら、自分の言葉でパラフレーズし、文として書き記す。
アーギュメントが見つかり、自分の言葉でパラフレーズできれば、それを抜き出して引用することが誠実な引用の形式。
なぜなら、論文中最も重要な要素はアーギュメントであるから。同意するにせよ反論するにせよ、そこをダイレクトに議論に組み込むことが誠実な引用の形式。
そうやって、アカデミックな会話を一歩先に進める。
書籍においても、本の・各章のアーギュメントをハイライト。
その書籍を復習する際は、そこさえ見ておけば済む。
各書物をアーギュメントに圧縮し、各研究がどのようにつながっているのかのネットワークを脳内に構築できるように。
第7章 イントロダクションにすべてを書く
イントロダクションにすべて詰め込まないといけない、かつ、論文はイントロダクションがちゃんと書けていないと、そこで読む価値なしと判断され、それを覆すことはできない。
3点セットからなるーアーギュメント、アカデミックな価値、シノプシス。
アーギュメントが書かれているパラグラフこそ、他人の論文や研究所を読む時にまず発見し、精読すべきパラグラフ。
アブストラクトとアーギュメント・パラグラフは、ほとんどイコール。
論文を書く場合は、読者にアーギュメント・パラグラフを確実に発見してもらえれるように書かないといけない。
冒頭部分、先行研究パラグラフ、アーギュメント・パラグラフ、シノプシス・パラグラフの4つの要素で作られる。
第8章 結論する
結論は、議論の要約にあらず。
論文全体の構造は、イントロダクションの抽象度5から段々と0まで降りていき、最後にかけてまた抽象度を上げ、結論においてイントロダクションを超える抽象度6に到達すべき。
では、アーギュメントを超えるとは?
コンクルージョンは独立している。
アーギュメントの論証しないセクション。
個別具体化し限定している枠をはずす。
飛躍というタブーが許容されるのが、コンクルージョン。
論証が不可能かつ不必要な、具体化からさらに大きな枠組みを持った大アーギュメントの提示こそ、アーギュメントを超えるということ。
結論で、議論の応用可能性に言及する。
アカデミック・ライティングは、目的ではなく手段。まず型に則って書き方を練習し、習熟したらそこから逸脱するために存在する。
発展編
第9章 研究と世界をつなぐ
論文とはアーギュメントを論証する文章で、アカデミックな価値を持つもの。アカデミックな価値は、論証部分にではなくアーギュメントにある。アーギュメントにアカデミックな価値がないと、論証しても仕方がない。
論文のすべてにアカデミックな価値があるわけではない。ただ、アカデミックな価値を出すことを目指して論文を書くことになる。ならば、さっさと1本論文を書くべき。
原理編と実践編を頼りに。
書くことでその後の自分の文章の良し悪しを判断できるように。
まずはそれなりに論文が書けるようになる。そこから、アーギュメントの価値を高める、つまり良い論文を書くことにこだわっていく。
なぜ人文学という学問が公的に保護・支援されねばならない?世界に対してどんな価値ある行為なのか?
もし価値がないとすれば、いくら人文学の優れた論文を発表したとしても、ある特定の、世界から切り離されたところでのゲームに長けているだけではないか。
高頻度で引用される論文、しかもどのような研究者にどのように引用されうるのかが、アカデミックな価値のポテンシャル。
日本での文学研究では、作品論により、文学作品を精読することが求められる。それが誠実である、と。でもその誠実さは、毛界から切り離された、人文学の外への価値はもたらさないところで誠実であるだけではないか。
人文学の、世界に対する目的とは?そこにおける誠実さとは?
作品論でなければ、人文学において民族、ジェンダー、セクシュアリティ、コロニアリズムが扱われていることが多い。この世の中にある不平等や不正義への批判。
人文学の究極目的の一つが、社会変革であるから。
暴力の否定。あるいは、暴力を肯定するロジックやナラティブの批判。
つまり、世界をより良くする目的で書くことが、誠実さなのではないか。
暴力を減らすための言論活動の価値が世界から消えることはない。
取り組む研究の目的はなんなのか。世界と切り離されていない、世界と接続した目的は。この問いの答えを探し、自分なりに見つけることで、論文を書くことなしに論文の質を向上させうる。
第10章 研究と人生をつなぐ
ここでようやく「問い」にスポットライト。が、論文にとって問いが必要なのではなく、研究のモチベーションの獲得に有効だったり。
なぜ自分はそんなにその対象が気になるのか、何に対して例えばバカヤローと感情的に言いたくなるのか。が肝要。
それが、研究内容と自分の人生とをリンクし得る。
誰に要求されたわけでもないのに、好きだったり重要に感じたり、何かしら言いたくなったり、が。
「好きなもの」ばかりでなく、嫌いなものとか憤りを覚えるものなど、感情が動くものに注目。
自分の内的なモチベーション(感情)と接続したリサーチ・クエスチョンを作る。
論文を書くとは、なんらかの新しい主張を世界にもたらし、それを説得的に論証することで人々の考えを変えようとする行為。
なぜ自分が特定のアーギュメントを提唱し、人々を動かそうとしているのか、と問うシーンがやってくる。それに対して答えようとする行為をし続ける。
辛く苦しい時期がある研究において、長く続けるための予防的な工夫が必要になる。がゆえに、本書では論文が書けるようになる「まで」となった「あと」をそれぞれ扱った。
論文は、一度書けるようになると、驚くほど自由。
演習編