体感している良さは、頭で考えるのではなく良さを体感したことに気づき、書くことによってしか明らかにできない
とか考えはじめると、自分の場合頭でっかちになりやすい印象がある。
心地いいというのは体感として感じることやけど、こうしてそれを明らかにしようと思って考え出すと、体感してた心地よさではなく心地よいと考えられるものが出てきてしまう気がする。
それが体感を捉えられているのかはけっこうあやしそう。その意味で、頭でっかちになりがちなのではないかな、と。
やからおそらく、心地いいと感じているのを認識できたので、今後は実際に体感した心地よさにちゃんと気づいて書いていくことが、「Cosenseは、書くのが心地いいはなぜか?」という問いの答えを明らかにするのには必要なんやろう。