なにをどう教えるかの前に持っておきたい、「なぜ、教えるか」
「なぜ教えるか」「何を教えるか」「どう教えるか」の明確化、明文化が大事ではないか、と最近特に思ってる。で、そこを疎かにしているな、とも思う。
なぜ、教えるのか?
そのために、何を、どう教えるのか?
一応、「なぜ、教えるのか?」が上位概念ということになるけれども、もちろん何をどう教えるのかに影響されて変化してもいい。
シェイク。
「なぜ?」や「どう?」のそのときその時のスナップショットを残しておきたいな。明文化が必要。
「何を教えるか?」「どう教えるのか?」ばかり考えてた気がする。そういう時、「なぜ、教えるか?」を一度見つめ直すと、何を、どう教えるのか?がガラリと変化する。「なぜ?」を疎かにしてきたぶん、その変化は大きい。
「こうすればいい」には、常に「わかった気」がつきまとう
目的は、それについて考え続けることが大事。
あわせて、自分の中の、理想の授業とは?を考え続けること。