📚自己決定の落とし穴
20251018
第一章 自分で決めることに息苦しさを感じてしまう
社会の個人化により、自分で決めることを重視するように。
何かを決める際には、運や環境が大きく左右し、決めたことと結果の関連性もあいまい。自分で決められる範囲も広くない。にもかかわらず、引き起こした結果に対する責任を強く求められる。
格差を放置したり、息苦しさを生み出したりする可能性あり。
choiyaki.icon決めることとその責任のアンバランスさの是正がいるということを言いたいのかな。
第二章 決定に対する責任の所在
二つの事例
1. ソロキャンパー、天気悪くなるかもしれないのにキャンプして非難
2. 日本が自衛隊をイラクに派遣したがゆえにイラクにいた人が誘拐された
自己決定には、「個々人の人の権利を守る」という側面と「個々人に責任を負ってもらう」という側面がある。
厳罰化されれば、個々人に責任を負ってもらうが強化される。が、個々人の決定の尊重がいいのか、責任が重視されるべきかは、簡単には決められない。
1.と2.の事例
共通点は、
自分で決めたことの責任は自分でとるべき、という追求があるところ。
相違点は、
1.は科学的根拠、2.は政治での決定が責任を引き起こしているというところ。
日本は特に集団の決定を重視しやすい。
自己決定と責任のアンバランスさが、社会の息苦しさにつながっているのかも。
集団の決定のほうが、及ばす影響は大きい。それでいて、集団の決定のほうが、責任の所在は曖昧。
個人の決定は、及ぼす影響は小さいのにも関わらず、責任の所在は明確で、追及されがち。
責任の体系は、力を持っているものが作る。
性被害では、同意か否かが責任を決める。
とはいえ、恋愛は同意の明示化とは相性が悪い。
互いの信頼がより重要に。