人間の子育てには共同で育てるというDNAがしこまれているのではないか。
人間の子育てには共同で育てるというDNAがしこまれているのではないか。
子どもが欲しいけど結婚はしたくないという女性が、知り合いの男性にお願いして子供をうませてもらったそうだ。
その後、下町の長屋で暮らし始めた。
彼女の子育てに協力したいという友達が集まって共同生活を始めたという。
たくさんの大人に囲まれながら成長するというのは,大人にとっても子供にとっても良いことであるように思われる。
いつの間にか,子育ては個人のことになってしまったが,音楽においても同じだ。みんなで歌ったり踊ったり奏でたりしていたものが,いつしか個人が作り個人で聞くようになった。
本も近代になって初めて個人が読むのものになった。それまでは,誰かが音読してそれをみんなで聞いていた,黙読というものは近代になってから生まれたものだそうだ。
近代が生み出した個人,それが生み出した孤独や寂しさ,そして子育てなぉの大変さ。これを単に共同体に戻すことによって解決することは難しいだろうが,だからこそ,どのようにすれば共同体的安心さ,優しさと、個人の自由とを両立させていくことができるのだろうか。
我々は無理をして生活している。
Voicy