2013年09月号 書籍の「自炊」と著作権
自炊への道のり
紙の書籍をデジタル化した経験がある人ははたしてどれくらいいるだろうか。私の周囲では片手で数える程度。巷で騒がれているほど多くはない印象だ。自宅でそれができる環境が整っている人は、なおさら少ないことだろう。
いわゆる「自炊(自吸)」。自分で紙の書籍の内容をデジタル形式に吸い出すことからそう呼ばれる。電子化すればMac/iPhone/iPadで読めるので、重い書籍を何冊も持ち歩かずに済む。
例えば数百ページの分厚い小説を外出先で読むのが楽。1枚の薄いiPad miniだけあればいいからだ。業務マニュアルや規約集といった、多くの書物を頻繁に参照する必要のある仕事にも好都合。教科書や重要判例集の類を電子化してiPadで扱っているロースクール生もいる。また不要な書籍を電子化してから処分すれば、室内スペースを有効に利用できる。
そのような利便性、あるいは「夢」が語られる一方で、自炊を始めるハードルは意外と高い。「自炊」だから、まず自分でスキャナと断裁機を購入する必要がある。
私が使っているスキャナーはPFUの「ScanSnap iX500」。紙の両面を同時に毎分25枚、すなわち毎分50ページの高速で読み取り、スキャンと同時にOCR(文字認識)も完了する優れものだ。もはやこれなしでの仕事は考えられない。価格は4万円台。私のように書類を毎日スキャンするニーズがあれば安いものだが、自炊したい書籍が多くなければ躊躇する金額だ。
また、iX500のような読み取り方式のドキュメントスキャナーでスキャンするためには、書籍の背表紙を裁ち落とす必要がある。私が使っているのはダーレーの「自炊裁断機200DX」。切れ味抜群の断裁機で、立てれば幅17cmに収納できる。価格は3万円台。この両者をそろえるとなると、電子化したい本や資料が少ない人にとっては、いささか敷居が高い。
書籍断裁の自由
それらの道具をそろえていざ背表紙を断裁しようとすると、こんどは心のハードルに直面する。本をざっくり切ることに対する罪悪感だ。
私自身、このハードルは相当高い。一冊の本は、著者を始めとして、編集者、装丁家など、多くの人の仕事と気持ちの結晶だ。大切にしたい。その本を文字通りバラバラにしてしまうのだ。ひとたび断裁してしまったら、綴じられた紙をパラパラめくって読んだり調べたりするあの感触とはお別れだ。それでいいのか?
自問自答の上、相当の覚悟と勇気、そして敬意を持って、背表紙を断裁する。法的には、自分が購入した本の所有権は自分にあり、原則としてそれをどうしようと自分の自由だ。読むのも、飾っておくのも、枕にするのも、転売するのも自由。書き込みをしても、ページを破っても食べても、燃やして暖をとってもいい。分解しようが、断裁しようが、まったく誰からも干渉されることはない。自由だ。著者も、出版社も、装丁家も、何も言う権利はない。本という「有体物(形あるもの)」として販売した以上、その所有権は買った人にあるからだ。自分が購入したMacの使い方は自由で、たとえ分解しても自由なのと同じである。
背表紙を裁ち落として「本」というひとつのまとまりがほどかれた紙の束。そこから最初の50枚を取ってiX500に乗せ、青い「Scan」ボタンを押す。電子化の始まりだ。みるみるスキャンが進み、あとは適宜、残りの紙を足していけば、書籍がPDFとなって、Macに取り込まれる。OCRのおかげで検索も可能。自動的にEvernoteに送るように設定しているので、すぐにiPhone/iPadでも読めるのだ。
自炊と著作権
自分で買った本の所有権は自分にあるから、どのように使おうと原則として自由だ。しかしそこには制約がある。そのひとつが著作権だ。たとえば小説の著作権は、小説の著者など「著作権者」が持っている。つまり小説の著作権者が持つ著作権と本の所有者(購入者)が持つ所有権とが、一冊の「本」に共存しているのだ。そこでふたつの権利の間に線引きをし、利益を調整するためのルールが著作権法である。
そもそも著作権法は、「文化の発展に寄与すること」を目的とする法律だ(1条)。文化的所産の公正な利用と著作権の保護とのバランスをとることによって、文化的に豊かな社会を形作ろうとしているのだ。だから、全面的に「コピーするな」などと極端なことはいわない。その小説を「複製」できるのは原則として著作権者自身と著作権者から許諾を受けた人だけだが、許諾を受けていなくても行うことができる例外が列挙されている。そのひとつが「私的使用のための複製」だ(30条)。
「私的使用」とは、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用することをいう。それを目的とする場合には、使用者自身が複製できるとするのが30条の規定だ。自分が所有している本とかCDを、自分が個人的に読んだり聞いたりする場合には、著作権者の許諾を得ずに自分で複製していい。自分が所有している物の複製に関しては、著作権よりも所有権の方が優先されるということだ。
したがって自分の所有する本を自分で断裁するのも、自分で読む目的で自分でスキャンして複製するのも法的にOK。安心して「自炊」できる。
このように法的には「自分で……」というのがキーポイント。だから、多少お金はかかるとしても、断裁機とスキャナーを購入するのにはわけがあるのだ。
もちろん、そのような道具を他人から借りても何ら問題ない。道具の所有者が誰かは無関係。あくまでもスキャンという複製行為を行うのが自分であることが条件だ。
ではスキャンを他人に代行してもらうことはできるだろうか。そこは著作権法の解釈が分かれるところである。自宅に来ているお手伝いさんに頼む程度なら「自分で」とほぼ同視できるかもしれないが、30条に「その使用する者が複製することができる」と明記されている以上、私的使用する人自身がスキャンする必要があるのは明らかであろう。
なお、すでに著作権が切れているものの複製はまったく自由だ。また自分自身が著作権者であるものは当然として、著作権者から複製の許諾を得ている場合も、その許諾条件の範囲内で複製できる。
料理が趣味な人は「自炊」とは言わない。誰も「自炊」したくて自炊しているのではないのだ。すべての書籍が紙と同時に電子媒体でも流通し、「自炊」しなくて済む世界はいつ訪れるのだろうか。