どもる体
p30 哲学の歴史の中で、心身二元論は・・・批判されてきた。・・・精神と物質を一元論的に解釈しようとしたベルクソンのイマージュ論やメルロ=ポンティの現象学・・・認知科学の分野でもヴェレラが『身体化された心 The Embodied Mind』(1991)・・・にも関わらず本書は・・・あえて心身二元論に固執します。・・・吃音当事者たちの語りが、みな一様に心身二元論的だから・・・心と体の協調関係がほころび、両者が分離するところに生じるのが吃音
p40 「ん」の文字が日本語に登場するのは、ようやく平安時代末期になってからだと言われています。カタカナ:『法華経』(1058)、ひらがな:『古今和歌集』(1120)。800年代には「ム」「二」「イ」
p55 モーフィング:あるものをなめらかに別のものへと変化させていく方法
p71 間違って、言葉じゃなく肉体が伝わってしまった。
p73 「なってしまう」運動に関しては、アメリカの哲学者、ショーン・ギャラガー「自己主体感」という概念が参考になります。「自己」のふたつの在り方として、「物語的な自己」「最小限の自己」。「最小限の自己」に「自己所有感(:これを体験しているのは私である)」と「自己主体感(この動作を引き起こしている、あるいは生み落としているのは私である)」
「自己主体感」が失われた状態について、つまり、私には動作主体という感覚がない(統合失調症の例)
p83 ルーマニアのシュルレアリスムの主導者として知られる、詩人のゲラシム・ルカ。シュルレアリスム研究が専門の鈴木雅雄は、ルカについて論じながら、どもる人を前にしたときの「思考が爆発するさまに立ち会う感覚」について・・・「ノン=オブディプス」なる概念を提唱し、「詩的どもり」の手法に基づく詩を世に送り出しました。代表作は1953年に出版された詩「パッションでイッパイで Passionement」。彼は朗読も行っていて、その映像が残されていますが・・・
p84 鈴木は「一つの意思がある外的な力によって(例えば身体的な障害)によって妨害されているというよりも、一人の人物の頭の中を去来する複数の思考が、互いに押し合いへし合いしながら中心となる軸を持てないままにテクストを通過していく、そうしたプロセスに読者は立ち会っているのではないか」。たしかにルカの詩を読んでいると、ルカの内部で起こっている高熱量の思考のうごめきが。「炸裂した言葉の群れ」を通して、生々しく伝わってくる感じがします。
p108 三島由紀夫『金閣寺』
p116 会話と対話
p152 ルートヴィヒ・クラーゲス『リズムの本質』
p160 詩人としてリズムの力を探求していたフランスの文学者ポール・ヴァレリー「リズムが十全に作用するとき、存在は自動的であり、外部の偶発的な条件は破棄され、排除されたかのようである」
p180 哲学者のエマニュエル・レヴィナス「リズムは、同意や引き受けや主導権や自由を語ることのできないような比類ない状態を表している」
p196 アーヴィング・ゴッフマンは、人類学の立場から、私たちの生活がいかに演技に支えられているかを分析しました。
【感想】
やっぱり吃音は自分から遠いところにあってなかなか興味を持ちにくい分野だ。ただどのような感覚を抱いているのかは少し興味がある。うごきの滑らかさが問題になるのは神経疾患に似ているようだ。リズムについての考察が興味深かった。