生成と消滅の精神史
日本では「心」をどのようにとらえてきたのか?万葉集と古今和歌集の和歌を比べて解説されています。読んだことをメモyukka.icon 万葉集(交雑する自然)から古今和歌集(情報論的自然)へ (言葉が心を形成した時代から、心が言葉を形成する時代)
万葉集
動詞は「見る」- 「身体の眼」
自然との距離=自然とともにある、consciousness about something ではなく consciousness with something
こと降らば 袖さへ濡れて 通るべく 降らなむ雪の 空に消につつ
ひさかたの 天照る月の 隠りなば 何になそへて 妹を偲はむ
雪とともに悲しむ、月とともに愛する人に思いを馳せる
「見ゆ」って結婚するという意味も含まれている、見るという動詞は深い…yukka.icon
古今和歌集
動詞は「思ふ」- 「心の眼」
自然との距離=自然よりも[* 言葉を通じて心を表現
あはれてふ ことだになくは 何をかは 恋の乱れの 束ね緒にせむ
思ふてふ 言の葉のみや 秋を経て 色もかはらぬ ものにはあるらむ
月がなければ心をあらわせないという万葉集に対し、言葉がなければ表せないと言っている
→ この自然観の違いは、平安京は人工的に構成された自然であることが大きい
平安京は早良親王の怨霊を避けるために、長岡京から10年で遷都されたという背景。そのため都を守るために結界をはり、安寧を徹底するために、中国の五行説を反映させた地形にしている。 北(玄武)に船岡山、東(青龍)に賀茂川、南(朱雀)に巨椋池、西(白虎)に山陽山陰道、当時の思想に理想的な地形
都の内部も五行思想に基づき配置。
御所は平安京の北側に設置されているが、これも中国の道教で「北極星」を意味する「天皇大帝」に由来し、民俗学者の内藤正敏は「北極星の天皇大帝が、北の空で不動の姿で満天の星を従えて宇宙の陰陽を調和させて輝いているように、地上の天皇も北を背に南面し、平安京の右京と左京の人民を支配する」と論じている。(〜)宇宙論的な自然観によって徹底的に設計された都市であった。
面白いのが音も五行思想に基づいて構成されていたとのこと!気分に、体系化された自然という思想が介入していたのでは?、と。鐘の音のヘルツを調べると
鐘の音の調性は、阿弥陀如来を祀る勝林院では秋の物悲しい音に合わせて平調に、祈願の仏である薬師如来を祀る来迎院では若葉の萌える春の喜びに合わせて双調に調律されており、京の都では「季節や仏の意味体系と緊密な関係を持ちながら、鐘の音が鳴っている」と指摘している