文化の本質は多様性なのではないか
(一旦フューチャーファンク動画のキャプチャで...)
https://gyazo.com/be63e7d008f06a9fcae80e74ce608379
ちょっと極端な例ではあるんだけど、自分が明確にサブスク以降の音楽だなと感じるものはすでに登場していて、フューチャーファンクと呼ばれるものがそれである。 Vaporwaveの流れを汲んでいて、80年代の日本のシティポップにビートを載せたりテンポアップしたりして、フィルターハウスっぽい感じに仕上げた音楽。日本生まれではなくて、海外の音楽好きがレアグルーヴとして日本のシティポップを発見して、そこに手を加えていって確立したジャンルという感じ。
フューチャーファンクが素晴らしいと思った人もそうでない人も、良かれ悪かれ、あれが新しく登場した音楽ジャンルであるということは否定できないと思う。これが音楽の多様性が増えるということである。 で、これは僕の持論なのだけど、文化の本質は多様性なのではないか。つまり、「いろんなのがある」ということ。 音楽でいえば、土地や民族ごとの伝統音楽があって、西洋発祥のクラシック音楽があって、ジャズがあって、ロックがあって、クラブミュージックがあって……っていう広がりがあって、かつそこに相互作用というか、お互い影響しあったり参照しあったりする関係の中でどんどん新しいものが生まれて、また多様性が増していく。それは音楽っていう大きいくくりの中だけではなくて、特定のジャンルの中でも、たとえばクラブミュージックなんかはわかりやすく小ジャンルが細分化されていて相互に影響し合っている。さらに特定の小ジャンルの中でも、東京のシーンがあってロンドンのシーンがあってシカゴのシーンがあって……みたいに土地ごとにそれぞれ特色を持っている場合もあるし、そのシーンの中でも個々のアーティストがちょっとずつ違うことをやって、お互い影響し合っている。
そういう多様性があって、さらにそれがどんどん増していくことが、文化の豊饒さを形作っている。そして逆に多様性を失うとその文化が死んだりする。
で、これは生物の進化にも似ている。
よく進化論についてされる勘違いの例として、「人間という素晴らしい完成系形があって、進化とは低レベルな生物が徐々にそれに近づいてきた道のりである」というものがある。実際には生物は突然変異を繰り返してたまたま特定の種が生き残り、結果いま人間がいる、という話でしかない。つまり進化には指向性がないのだ。よく「キリンは高いところの葉を食べるため首が長く進化した」と言われるが、あれも間違っていて、実際はキリンは首を伸ばしたいという意志で(=指向性を持って)首を伸ばしたのではない。たまたま長い首をもった個体が生まれて、それが生存に有利だから生き残っただけなのである。
進化において大事なのは多様化であり、そのために突然変異の試行回数が多くあることなのだ。そうすれば淘汰されても一部が生き残ることができる。