エスペラント貨幣
プラスチック硬貨でお酒が飲める!エスペラント貨幣の世界
先日ご紹介しました世界エスペラント協会「緑の金曜日」エスペラント関連商品の割引キャンペーンにあなたも参加されましたでしょうか。みなさんどのような方法で支払いを済ませているのでしょうか。あなたはエスペラント専属貨幣の存在を知っていますか? 最初期エスペラント貨幣の誕生
スペース
いまから100年ほど前、ジュネーヴ出身のルネ・ド・ソシュール(René de Saussure)は雑誌『世界科学』誌上で国際貨幣製造のアイデアを示しました。ルネ・ド・ソシュールは近代言語学の父、フェルディナン・ド・ソシュールの弟です。彼は兄の強い勧めでエスペラントを学び始めました。エスペラント雑誌を読んでいるとき、販売価格がバラバラの通貨単位で記してあるのを見て国際中立貨幣の着想を得ます。最初のエスペラント貨幣はこうして誕生したのでした。 https://gyazo.com/78d650f5fd62b1e7159d09164d996aee
ルネ・ド・ソシュール
彼はフランス語の espèce(貨幣)から speso という語を作り、十進法を用いて、通貨単位スペスミーロ(1000スペーソ、Spesmilo, Sm)、スペスツェント(100スペーソ、Spescent, Sc)、スペスデーコ(10スペーソ、Spesdeko, Sd)を作りました。
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1スペスミーロ硬貨
スペスミーロは0.8gの金合金(1gの合金に0.917g から 0.733g の純金含有度のもの)に相当し、既存通貨との交換ができました。通貨レートは2イギリスシリング、1ロシアルーブル、0.5アメリカドル、2.5フランスフラン、2.5スペインペセタでした。はがきの切手のところに郵送料40スペーソなどと書くのも流行ったようです。 https://gyazo.com/8315017e0a152cfce617ad7559de8429
スペスミーロ記号₷。ユニコード収録位置U+20B7、HTML ₷。
国際送金の実現
エスペラント銀行の先駆け
1907年、初期エスペラント運動に貢献した Herbert F. Hoveler (1859 - 1918) はエスペランティスト中央銀行(ĉefbanko esperantista)を創立し、本部をロンドンの Merton Abbey としました。この銀行はドレスデンの Bankhaus Gebruder Amholf 銀行と、モスクワの A. Saharov 銀行により共同運営され、1914年には43の国家から730の口座顧客がありました。小切手による送金ができ、外国への会費送金や注文の多いエスペランティストにとって非常に便利でした。
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Herbert F. Hoveler
小切手は同時代の一般の小切手同様 213 x 86mmのサイズで、緑地の色、説明も緑色の文字でエスペラントで書かれており、一部英語の注釈がありました。
後に85 x 88mmのサイズで、すべてエスペラントで書かれ、「1世界、1言語、1通貨」の標語のあるタイプも出現しました。
1908年、国際小切手のアイディアはスイスの銀行グループ Schweizeriche Bankverein の興味を引き、ジュネーブのスイスピクテ銀行にも注目され、両銀行はスペスミーロを単位とし、エスペラント語の書かれた小切手を発行しました。
さらに言及すべきは、1912年、スイスの記念章製造業 Holy Freres 社がエスペラント25周年記念銀貨セットを制作したことでしょう。政府の認可を得られなかったため、硬貨ではなく記念章です。当初は額面10000スペースの金貨を発行し、1913年のベルンエスペラント大会で販売するつもりだったそうです。
2枚の銀貨の正面には徽章、額面、「エスペラント記念1887-1912」の刻印があり、背面にはザメンホフの半身像と「ザメンホフ博士――エスペラント創始者」の文字があります。
額面1000の銀貨は直径28mm、重さ11g、成分組成は11/12が銀、1/12が銅です。
額面2000の銀貨は直径36mm、重さ22g、組成は上のものと同じです。4つしか現存しない大変貴重な品となっています。戦前の時期は多くの専門書店の図書、雑誌カタログにはスペーソによる価格注記が記され、国際エスペラント組織の会費や、世界エスペラント大会の期間の大小さまざまな支払い、飲食や宿泊費の支払いもスペースによりなされました。
残念ながら、具体的にどのくらいの期間、どのくらいの量の取引がなされたのかはよく分かっていません。
第一次世界大戦の期間、銀行は業務中断を余儀なくされ、1918年に Hoveler が死去した後、運営を停止しました。
エスペラント通貨は死んでいなかった
1942年、第二次世界大戦中、オランダにエスペラント国際連盟(Universala Ligo)が成立しました。1960年、連盟は、ステーロ(星)硬貨を発行します。額面は1ステーロ、5ステーロ、10ステーロで、材質は銅、黄銅、銅ニッケルです。1959年の刻印があり、発行枚数はそれぞれ1万枚です。1965年には額面25ステールの硬貨も発行されました。そのうち1000枚の銅ニッケル硬貨が流通に使われ、1枚8アメリカドル相当の5000枚の記念銀貨は収集家に販売されました。10枚のサンプルは金で作られています。
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後に紙幣も発行され、現在は収集家がコレクションとして集めています。
当初、1ステーロの価値は1kgのパンの価値により定義され、およそ0.25オランダギルダーでした。後に1ステーロの価値は0.5ギルダーに高められました。さらに後には、インフレの犠牲となるのを避けるべく、多くの貨幣の交換レートを考慮した複雑な公式により計算されるようになりました。
2012年、プラスチックのステーロ硬貨が発行されました。額面は1ステーロ、3ステーロ、10ステーロで、国際青年エスペラント大会のバーで使用できます。FacebookのStelaroグループでの計算によれば、2014年11月時点での1ユーロには4189ステーロが相当するそうです。
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2015年国際エスペラント大会のバーで使用されるプラスチック製ステール硬貨
2018年、ルネが誕生して150年の節目にあたり、純銀ステール硬貨(純度0.999)が発表されました。額面は100ステーロで、重量1オンス(31.1g)。2017年2月の銀取引値で換算すると、1ユーロに5ステーロが相当します。
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