アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
フィリップ・K・ディック著
著者はナチス親衛隊の日記を読み、ポーランドのページに「子どもたちの泣き声がうるさくて寝られない。迷惑だ」と書かれたことを知る。彼はナチスの侵攻により餓死しかけている子どもたちに対しうるさいとしか思わなくなる非人間性は、権威の命令による非人間的な行動により作られると考えた。
そこでもし人のなさけを持たない残酷なアンドロイドがいたなら、人間社会を守るためにそれを排除する仕事が必要となるが、排除の仕事は人のなさけを破壊し、残酷な存在にしてしまうだろうと考え、それを描いた。雪を見たいというレイチェルを雪原に連れていって背後から射殺するのはこのため。映画版でも踏襲され、デッカードは女しか殺していない。
映画ブレード・ランナーの設定はこれに沿わない。死すべきものとして生まれたロイが父であるタイレルを殺し、死を以て許される姿から、神の意志に反してでも生き残りたいと思う存在の罪が許されるという話になっている。なお製作時には「ロイはデッカードを倒そうとするも、プログラムされた本能が働いてデッカードを助けてしまう。存えるどころか敵一人倒せない自分に絶望し、薄ら笑いを浮かべながら死んでゆく」という設定だったのに、説明がなんにもないため公開後評論で「アンドロイドには心があった」と解釈されてしまい、なかったことになった。