どうしてつぁいにゃおは幸せなの?
正しい分析かわからないし正しかったとしても他の人にも有効かはわからないけれど、理由を考えてみた
「ちゃんとしたものごとをちゃんとやろう」と思っていない
つぁ総研の分析によると、人はどういうわけか、"ちゃんとしたものを"、"ちゃんとやるべき" と考えがちで、この傾向は恵まれた環境であればあるほど強くなり、義務感で倒れる。
「ちゃんと」というのがどういうものかは人により地域により風潮により一定しておらず、たとえば買い物では「ちゃんとしたブランドのものを正規の値段で買う」とか「広告宣伝に頼ったブランドではないちゃんとした品質のものをちゃんと値段交渉して買う」とかどっちに転んでも極端な主義を持つことはすべて「ちゃん」としているとみなされる。価値観がある、ポリシーがあるともいう。
長時間の運動はしない
長時間の運動、特にマラソンなどは身体への細胞レベルの負荷が大きいことが知られているし、やりたくないときはやらない。でも日常の動作で泣き言を言ったりはしないので身体は使えている。
選択の時、推論の精度が確保できなそうであればそもそも何も考えない
これは結構重要で、選択の時に下手に悩んでしまうと、失敗時の落胆が自ずと大きくなり後悔が発生する。「反省すれども後悔しない」がPDナントカAを回すにあたって必要なメンタルなので、推論の精度が確保できなそうな案件ならそもそも選択時に考えすぎない。
社会に生きることと経済活動をすることを分けて考えている
社会と経済を混同して考える、または経済活動が社会の基盤だと考える人は多いけれど、そういう人は経済活動が停止する(失業引退など)と同時に社会活動が詰む。唯物論史観としては正しいけれど、個人の行動の指針にはならない。社会活動が盛り上がったところに経済活動が副次的に生まれ、経済活動が盛り上がったところに社会活動が副次的に生まれるという関係で捉えるべき。