kabei
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カベーイ
何も言わずに突然コミュニティを去ること。
初期エスペラント運動の旗手Kabeが突然エスペラントコミュニティから姿を消した故事に由来。
Kabeは本名カジミエシュ・バイン。若い頃はポーランド反ロシア運動に加担したとして数年間追放され、カザンで医学を学ぶ。眼科医学の専門家としてワルシャワ眼科学会とポーランド眼科協会を設立。アマチュア写真家。
1904年、ヴァツワフ・シェロシェフスキの『悲惨の深み』をエスペラントに訳した La fundo de l'mizero で有名になる。1906年よりエスペラント学士院副議長。ボレスワフ・プルスの『ファラオ』の翻訳と、最初のエスペラントの辞書の一つであるVortaro de Esperantoの編纂を手掛ける。
1911年、エスペラント界隈から姿を消す。アントニー・グラボウスキーとの意見の相違があったなどの噂
があるが詳細不明。