第二次世界大戦中のエスペラントに対するディスり
1928年1月バイエルン議会でのナチス党議員の発言
『ウンシュプラッヘ(非言語)』エスペラントはドイツの国民性の最大の脅威である。祖国の国民の幸福を願うなら、ユダヤ人の作ったこの反民族的かつ反国家的な『万人の言語』に警戒すべきである。エスペラントの背後には平等、超合理的功利政策、人類の一律化、精神の優れた者の排除と脱民族化を狙う国際社会主義や共産主義がいるのである。
1925年「我が闘争」より
ユダヤ人の奴隷になると、彼らは世界語、たとえばエスペラントを話さなければならなくなるだろう。するとユダヤ人が彼らを支配するのがますます容易になるのである。
全ドイツ警察長官ハインリヒ・ヒムラーの代理ラインハルト・ハイドリヒによる、内相への建言
1935年3月にデュッセルドルフで反逆準備のため逮捕された36名のうち、29名がエスペランティストであった。エスペラント団体の会員の大部分には反ナチス活動の疑いがある。すべてのエスペラント団体を解散させ、財産を没収されたい。
ナチス政権宣伝相ヨーゼフ・ゲッペルスのやけに冷静な分析
国外にいる数百万のエスペラント支持者の大部分は非政治的で、エスペラントの志向しているものの理念的側面のみを見ている人間に違いない。これらの人間はすべて、新しい言語の学習などという、危険性のまったくない行動でさえ、ドイツでは禁止されているという印象を受けるようになるだろう。エスペラント団体が世界中に撒き散らしている無数の文書は、もちろんこういう意見を表明するに違いない。国外の新聞雑誌もその機会を反ナチス宣伝に利用するだろう。
1936年、週刊誌『フリデリクス』の見出し
世界の脅威エスペラント
総統代理ルドルフ・ヘスの名で出された布令
国際雑種語を創ることは国家社会主義の基本的構想に反し、究極的には民族を超越する権力のみに奉仕することになりかねない。よって総統代理は、全党員および党の外郭団体の全会員に対し、人工語のあらゆる団体に属することを禁止する。
1936年のゲシュタポによる通告
7月15日までに、人工語のすべての団体とそのグループは解散しなければならない。
1940年6月8日付、RSHA(国家保安本部)、ゲシュタポ、SD(親衛隊保安部) 編纂によるナチス内部文書 エスペラントはあらゆる人種、皮膚の色および風土の人々のための同じ読み物や、同じ教育、理想、確信および志向を通じて徐々にすべての国民を見分けのつかぬ雑種にしてしまうことをねらいにしている。……エスペラントを国際的コミュニケーションのための単なる補助語とみなすことはまちがっている。人工語エスペラントは、ユダヤ人たちの武器であるエスペラント運動の一部なのである。
ハーグの国際エスペラント研究所がフリーメーソンの外郭団体であるとして閉鎖されたときの、反エスペラントの先鋒ヴェルナー・シュヴィア博士のコメント:
平和主義とヒューマニズムは諸国民の生命をおびやかす最大の罪悪である。エスペラントの片棒を担いでいる者は逮捕されて強制収容所行きである。
1932年、ジェレコヴェッツエスペラントクラブの規約承認申請に対するザグレブのクロアチア地方当局の却下理由
農民や職人から成るそういうクラブをジェレコヴェッツに創る民族文化的必要もなければ、社会的必要もない。なぜなら、普通の人間が興味を持ってしかるべきと思われる民族的、文化的、経済的および社会的問題はいろいろあるからである。普通の人間には教育や文化の問題を教えるべきであって、多くの予備知識や現在世界で知られている少なくとも1つの言語に通じることが必要な正体不明の死んだ人工語など教えるべきではないからである。
1937年6月、ユーゴスラビアエスペラント連盟会長イヴォ・ラペンナのコメント
エスペランティストたちは民族を異にする人びとのなかに、劣った存在でなく人間、殺しあうかわりに互いに意見を交換し、なかよくなり、協力したいと思う人間を見ているというだけの理由で迫害され、殺されさえしているのである。
1938年同氏
平手打ちを喰って殴り返すことができないなら、せめてわれわれをなぐったひとたちの前に這いつくばるようなことはやめようではないか。そして逆に、彼らがわれわれの意見に同意しないことを誇りに思おうではないか。
「危険な言語」ウルリッヒ・リンス p. 78
たとえば「エスペラントはユダヤ人の言語だ」という悪口に対して、エスペラントの新聞雑誌は「ユダヤ人が作ったのがだめなら梅毒治療薬サルバルサンも使えない」と注意をうながすことで反論しようとした。もちろんこの種のたとえ話は、エスペラントがユダヤ的性格ばかりでなく全人類的性格を持っていると強調した点では正しかったのだが、ユダヤ人がはじめたからといってエスペラント運動を頭から否定するような、説得しようのない人たちを説得しようとするのは意味がないという点を見落としていた。
オーストリアとチェコスロバキアが破壊された後、政治的絶対中立主義の放棄を宣言する世界エスペラント協会(UEA)の機関紙
無関心であること、中立的であることは、われわれの理想を裏切ることであろう。エスペラントは個人の自由を尊重する体制のところでのみ自立し、成功することができるのである。
1940年、ユーゴスラビアの La Suda Stelo 誌 政治的中立主義について
われわれは中立主義をエスペラントの役に立てようとしたが、実際には害になった。われわれが中立主義を守ったにもかかわらず、敵は依然として敵であり、可能な限りいたるところでわれわれの運動を禁止した。ところが、中立を完全に守ったおかげで、われわれは進歩的な人びとの中における同情者をほとんどみな失ってしまった。実のところ、こういう人たちの目にはわれわれは、砂の中に頭を突っ込んでいる駝鳥のような変わりものに見えるのである。しかしこれらの進歩的な人びとこそ、エスペラントの勝利を可能にできる唯一の勢力なのだ。
翌年1941年4月11日、ナチスの部隊がユーゴのザグレブに侵入。翌日にはクロアチアのファシストによりユーゴスラビアエスペラント連盟の事務所は閉鎖され、財産が没収された。この後、強制収容所や解放闘争で没したユーゴスラビアのエスペランティストは300名以上である。