小説読書日記
2025/01/04
カミュの『異邦人』。昔読もうとしてなぜか読むのをやめてしまったのでもう一度。たしかカミュの文体のことをロラン・バルトが透明なエクリチュールとかたしか言ってる。個人的には客観的な描写だけど、一つ一つのシーンが緻密な印象を受ける。 一部は少し退屈だったけど、二部は結構面白くて一気読みしちゃった。難しくて言わんとすることはよくわからなかったけど。でもついに読んだぞ。(01/05)
2025/01/03
新年の初読書は冬目景の20周年画集だった。次は挫折したシェイクスピアの『ハムレット』をもう一度読んでいる。中盤のやりとりが深すぎてよくわからない。とりあえず今回は読みきれそうだ。頑張ろう。
途中から一気読みした。超面白かった。
2024/12/29
3日前くらいからツルゲーネフの『はつ恋』を読んでいる。思っていたのと違っていて笑ってしまったんだが、主人公が恋するメインの女性が女王様的というか小悪魔的というかファム・ファタール的(ファム・ファタールではないけど)というか感じで割と自分好みだったんですよね(お目目パチパチ)。しかし彼女が恋をしたのは主人公ではなく主人公の父で……という悲哀のある話。 読み終わった。小説のお手本のような作品だった。古典新訳文庫の訳者解説がよかったわね。
2024/12/26
『ひきこもりの手記』。文体七変化。第3章あたりから本当に論理の通っていない文章、病理的におかしな記述が増えてきている。
2024/12/25
ああ〜甘塩っぱいお話だった。確かに副題にある「感傷的ロマン」の名に恥じない作品だ。レビューを見ると、女が酷いと書いてあって疑問だったんだが確かにこれは……と思わされる。結果論とはいえ、オタク君をたぶらかして期待だけさせて捨てたみたいな感じだからね……。青春漫画でよく見るやつだ。それにしてもこの空想家タイプのキャラ造形いいな。
2024/12/24
続いてドストエフスキーの『白夜』。クリスマスイブ〜クリスマスにかけて読むにはちょうどいいんじゃないかしら。120ページ足らずのようだし。 あわわ、なんて気持ちの悪い青年(26歳らしい)なんだ……まるで自分を見てるようだ。共感性羞恥で身悶えしそう。『地下室の手記』の語り手もそうだったが、ドストエフスキー文学のメインキャラにはそういうところがある。他者性の欠如により自意識が過剰になっていてプライドが高く、現実と触れ合うことがないから理想家・空想家なのだ。そして突拍子もなく空想によって有頂天になったり、逆に空想が瓦解した瞬間に絶望に陥ったり、感情が爆発することがあるのだ……。 調べるとドストエフスキー異色の短編と語られている作品だが、多分それはストーリーの話で、人物造形はドストエフスキーっぽいなと思わせてくれる。期待外れじゃなくて少し安心した。
『星の子』。これも面白い。なんて象徴的なんだ。おそらく最期は神の国の誕生を表している。しかしその神の国も長くは続かないというワイルドの洞察も窺える気がする。なんかジーンと来ちゃったな。家族モノは涙腺がダメになる。 『漁師とその魂』。面白かった。童話の中でも傑作とされている話の一つ。作中の次の言葉が有名で、ワイルドの美学が反映されているとされている。 「愛は知恵にまさり、富よりも尊く、人間の娘たちの足よりも美しい。炎も焼き払うことができず、水も消すことができない。(中略) 邪なことに、ぼくはきみのもとを立ち去り、わが身を痛め傷つけながら、さまよい歩いたのだ。それでもきみへの愛は、つねにぼくとともにあって、その愛はつねに強く、悪にも善にも出合ったが、何ものもその愛に打ち勝つことはできなかった。」 2024/12/23
『若い王』。若い王が3つの夢を見て、自分の豪奢による歓びが貧者の悲しみによって成立していたことを知り、王にあるまじき乞食のような振る舞いをして、キリストのように神の栄光に包まれる話。宗教色が強い。 『スペイン王女の誕生日』。スペイン王女の誕生日に色々な催しがなされるが、とりわけ醜い侏儒が滑稽に踊る様を見て王女がお喜びになる。そして侏儒に白い薔薇を渡し、それによって侏儒は王女が自分に恋をしていると勘違いするが、宮殿にある鏡で見た自分の姿に絶望し、やってきた王女の一群の前で自殺するという残酷な話。なんとなくラブクラフト『アウトサイダー』という短編を思い出した。 注釈によると、スペイン王女や侏儒や宮廷の祝いの行事などの叙述は、フェリペ四世の宮廷画家だったベラスケスの絵画に視覚的に触発されたものらしい。《ラス・メニーナス》とかか。 2024/12/22
『忠実な友人』。胸が痛い話だ。これは教訓じみている。「自己献身で友人に尽くしても、それが友人に利用される人生になってしまうと虚しくないか?」という教訓の上に教訓を重ねている、つまり教訓話に「いつだって教訓話をすることは危険である」という教訓を被せているように思える。 つまり、『「献身や自己犠牲も大事だが、ほどほどにしておけ」という教訓話をすると相手を苛立たせる危険がある』という教訓を作者は言いたいのだろうか。
『わがままな巨人』も宗教的だ。小さな男の子はまるでキリストのようだし。童話を読むと、ワイルドってめっちゃ宗教的な作品を書いていた人だったんだな。佐伯彰一も書いていたが、耽美主義という言葉だけが独り歩きしている。 だとするとワイルドの童話集をこの時期に読むのはちょうど良い。もうすぐクリスマスだから。ぼっちクリスマス
『ナイチンゲールと薔薇』。こちらも自己犠牲の話だが、ナイチンゲールという鳥(日本ではサヨナキドリという)の自己犠牲的な究極の愛は報われることはなく話が終わる。そういったものを皮肉っているように読める。実際、どうなのだろうか。ちなみに鳥が薔薇の木に自らの心臓を押し当てて絶命する場面が痛々しい。 矢野奈々さんという研究者の方の短い講義を発見した。勉強になるな。 https://youtu.be/bwi3O7OvQFE
理由が語られていないが、自己犠牲的な愛によって生まれた赤い薔薇は、「耽美を追求し続けたワイルド自身の芸術精神そのもの」を表象しているとこの方は考えているらしい。ドリアン・グレイでも本作でも、芸術は何の意味もなく何の実益にもならない無用の長物だと語られているから、一理あるかもしれない。
オスカー・ワイルドの童話集を途中で読むのをやめていたからもう一度読み始めている。一度目に読んだときとは感じ方が変わっている。 『幸福の王子』に関して、これは普通に読めば自己犠牲の話だ。しかし最果タヒは、これは罪滅ぼしの話ではないか?と少し異なった読みをしている。最果の読みを全てに同意するわけではないが、メインの部分は支持したいと思った。 けれど今あらためて原作を読むと、これは罪滅ぼしの話なのかもしれない、と思ったのです。優しさでも愛でもなく、罪滅ぼしとしての献身なのかもしれないと。
2024/12/21
【朗報】ポー作品、だいたい全部面白い
「アッシャー家の崩壊」もオチが(現代では)少し拍子抜けだっただけで普通に面白かったし。「メエルストリームの大渦」(大渦巻への下降etc…)も面白い。推理ものの「盗まれた手紙」も始祖にして完成度が高い。現代の下手な推理小説よりは断然面白いし。でもやっぱり個人的にはポーはゴシック小説が一番好きだな。「ヴァルデマー氏の死の真相」もよかった。これはジャック・ラカンが文芸批評の題材に使った作品でもあるらしい。 解説を読むと、詩人から出発した人だったんだな。ポーの文学論が気になる。
2024/12/20
昨日調べていて知ったけど、ポーの活躍時期は19世紀前半から半ば。推理小説の父であり、象徴主義を準備した人でもあったらしい。19世紀末辺りの小説家にも影響を与えている。ドストエフスキーも影響を受けている。後世に影響を与えまくり。日本でも影響を受けた文豪は多い。避けては通れない小説家だし普通に面白いしで読んでよかったな。 そういえば、数日前に読み終わった『ドリアン・グレイの肖像』はポーの「ウィリアム・ウィルスン」に筋書きが似ていると思う。後者はあまり覚えていないのだが、だとしたらワイルドもポーに影響を受けている可能性がある。
実は前者の主人公の自画像(肖像)は良心のメタファーのように描かれており、放蕩や罪を犯す度に魂が汚れていくのをまるで肖像が背負ってくれているようになっている。終盤で、ドリアンは肖像を描いてくれた友人の画家を殺害し、彼は良心の呵責に苦しめられるが、開き直って肖像の責任にしてそれを刺すと、肖像と現実の自分が入れ替わり、目の前には醜く老けたドリアンが横たわっていた。という筋だが、これは快楽に身をやつし続けるといつかは破滅するぞという教訓を作者のワイルドが残しているように思える。ワイルドはカトリックだったらしい。ここで/arpla/『ドリアン・グレイの肖像』の好きなシーン#676124357ab6000000b5ddb2(懐疑主義こそは信仰のはじまり)の部分の意味がわかる。憶測だが、ワイルドはまずキリスト教を懐疑し、懐疑を通り越して理性によって再び信仰を獲得したのだろう。 後者もウィリアム・ウィルスンはたしか語り手のドッペルゲンガーみたい存在なんだが、これは語り手の良心のメタファーみたいになっている。語り手も放蕩者みたいな感じだし。
ので、リクトーさんの「影と鏡像を学ぶ」リストにワイルドのドリアン・グレイも加えられるのかもしれない。
イタローさんの小説でも言及があった「大鴉」という物語詩をやっと読めた。笑ってしまったんだがそういう風に作られてるよね? 音楽的?な詩だった。ポーの名声を世間に知らしめた作品らしい。
あと「ライジーア」が印象に残った。ゴシック小説っぽいけどお耽美っぽくもあった気がするわね。「ライジーア」と「大鴉」は雰囲気が結構似ている。
代わりに「アッシャー家の崩壊」は期待度が高すぎただけにオチが少し拍子抜けだった。描写は物凄かった。
2024/12/17
MMM『ひきこもりの手記』を読み始める。とりあえず0章(まえがき)を読んだ。すまんが同著者の『魚の夢』の序文の方がよくできている。後者の方が内容が深いし、本当に胸に沁みたから。当たり前だが、魚の夢の萌芽がここにはある。小説の構成はほぼ同じといっていい。続けて少しずつ読んでいく。 1章を読んでいる。想像すると目を覆いたくなる幼少期の虐待体験だが、本編がこういう感じならなんとか読み通せる気がする。1章冒頭の母と蝿の両方を交互に映し出すクロスカット的な描写方法は普通に上手いと思った。
やっと読み終わった。3週間くらいかかった気がする。逆に3週間もかけて1冊の小説を読んだ経験は初めてかもしれない。読書始めた当初はこれくらい長い小説は挫折してただろうから。
夢野久作の『ドグラ・マグラ』の方が長いけど朗読鑑賞会の力を借りてやっとって感じだったし。2年前くらいだったっけ?あの頃は楽しかったよね。「でも、少なくとも私には、今だってまんざらじゃないわよ(ARIAのアテナさん)」。……🥴
https://youtu.be/CQPOIb0xPrE?si=S5t6RwUYr8q6ytaI&t=260
ええこと言うとるな。でもこれある程度人付き合いができる人達の主張だな……😑 「今楽しいと思えることは、今が一番楽しめるのよ(アリシアさん)」。これはマジだな。動画編集もいつまで楽しめるかわからん。
ドリアン・グレイの肖像がやっと終盤近くまできた。ゴシック小説と語られることもある本書だが、「え?どこが?」と思っていたけど、kindle70%を越えたくらいからそういう雰囲気が出てくる。この辺から物語が俄然面白くなってきた。 面白いなあと思ったときに「まだ結末は見たくない」という気持ちと「早くどうなるか知りたい」という相反する気持ちが入り混じる。ドーパミンが関係しているらしいけど、小説の醍醐味の一つはこういう部分にあるのだと思う。ミステリー小説はそれを極限まで推し進めたものなんだと思う。
ゴシック小説探求とかも楽しいかもしれない。入門書を1、2冊読んでいた気がするからそれに紹介されているのを読んでみてもいいかも。『フランケンシュタイン』とかがそう。あれすごい面白かった。
2024/12/14
そういえばローズさんと球体関節人形と天野可淡の話をする約束(きっとずっと先のことになるだろう)をしている。それで天野可淡作品を調べているんだが、耽美的な作風の人だったらしく自分に合いそうな予感がしている。この人の作品集なら買ってもいい。 (ネットの)知り合いの好きなものに触れると自分の知の領域が広がっていくことがある。こういうのは普通にありがたいと思う。縁の重要性というか。
少し不謹慎かもだからローズさんの前では書けないけど、可淡は若くして亡くなっており、多分だが人気絶頂期に事故死している。ここまで(悲)劇的な人物も中々いない。彼女の一生のドラマ性にも自分は惹かれている。
思想的に大きな発見がある本だけど、「永遠の若さ」といったものがメインテーマにされている感じがする。このメインの部分が実はあまり興味がない。
つまり思想的な発見のある本だけど話の筋は個人的に面白いとは思えない。思想書を読んでいる感覚に近い。
愛称がハリーのヘンリー・ウォットン卿が実に皮肉屋の警句を撒き散らす人物で、彼の存在のおかげで『箴言集』などのアフィリズム形式の本を読んでいる感覚に近くなっている。