論理では記述できない現象を扱う学問
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科学史や哲学史を見れば凄まじい天才でもあらゆる物事を体系的かつ論理的に記述・説明しようとして結局挫折して発狂した事例が散見されるっていうのは安冨歩先生の『合理的な神秘主義』で学びました 「占い」といったのはそんなイメージなんですねtkgshn.icon
AIが進化していくと占いや神託のようになるのではないかというSF的発想もありますyuiseki.icon Kazuya Gokita(@kazoo04)
因果推論、機械学習、推薦、シミュレーションあたりの技術が今後もガンガン進んでいくとすると「明日の13:49に玄関でジャンプしてからキュウリを齧ると10月14日に第一志望の企業から内定が出ます」って通知が来るみたいな世界になる
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体系的かつ論理的に完璧に仕組みを記述できなくても、私たちの生活や社会は別に混乱も崩壊もせず、それなりに成立していますよね、というのが、既に一つの神秘なんです。これは社会学のエスノメソドロジーのような学派にも通じます yuiseki 🇺🇳 ワクチン 枠珍 5G 不正出血 不妊 死亡 遺伝子改変 ← デマ(@yuiseki_)
人類の生活や社会を徹底的に解明して記述・説明することよりも、なんでかわからないけど神秘的に上手く回っている生活や社会を、分かっている範囲の体系的な知を活用してなんとかして維持向上していきましょう、というのが学問の役割だと思うのです……
論理では扱いきれないような現象を扱う学問分野の歴史
哲学
科学
経営学
認知科学、社会学
エスノメソドロジー
「秩序問題」はある意味で奇妙な問いである。社会学者があれこれ考える前に、社会秩序は社会生活を営む成員たちによって、すでに成立しているからである。既に成立しているものに対して「いかにして」と問うとき、そこには「成立している」ことへの驚きの感覚があるだろう。こうした感覚は、例えば「行為の本当の意図は行為者自身にしかわからない」という前提があるにもかかわらず「相手の行為の意味がわかるのはなぜか」と問うことなどから生じてくる。
また、社会秩序が既に成立しているものであるならば、そうした問いを立てることとは別に、現に成立しているその秩序のありかた、──すなわち社会の成員が日々の生活を営んでいる方法(論)そのもの──を記述してみることが試みられてもよいはずだ、となる。秩序が崩れた時にその秩序が存在したことを意識することから、顕在化したと感じるのはむしろ秩序が破られた時であると言える。こうしてエスノメソドロジーが生まれ、以後ガーフィンケルとその同僚や教え子たちは、実際にその課題に取り組んでいくことになった。そこでは、さまざまな「人々の方法論」が記述されると同時に、「秩序問題」を成立させていたさまざまな前提──上の例でいえば「行為の本当の意図は行為者自身にしかわからない」という前提──のほうが、むしろ誤りであったことが指摘されていくことになる。
合理的な神秘主義
実は私は、いわゆる「学問分野」を成り立たせているのもまた「盲点の共有」ではないかと考えています。例えば経済学の場合、最適化、つまり最適なものが選択されるというのが経済学の基本なんですが、それは稀少性、つまり物が足りないという状況が、大前提となっています。稀少性はエントロピー第二法則が大前提となります。なぜならエントロピー第二法則がなければ、永久機関がつくれるので、何でもコストなしに作れます。そうすると稀少なものなどなくなります。一方、エントロピー第二法則は、計算とか情報のやりとりにコストがかかることを要請します。そうすると、最適化という大変な計算過程を実行しようとすると、ものすごいコストがかかることになります。すると、最適化という行為自体が資源の賦存を変化させてしまい、最適化を振り出しに戻してしまいます。これでは何時まで経っても最適化は終わりません。 以上のことから、稀少性という前提から、最適化はできない、ということが出てきます。つまり、「稀少性の下での最適化」という経済学の根本に矛盾が含まれていることになります。経済学という学問分野は、この矛盾の上に成り立っていますが、そこが盲点となって隠蔽されつつ共有されることで、分野が成立しています。この自明の理を経済学者は絶対受け入れない。経済学が崩壊してしまいますからね。
ミクロ経済学の市場理論の原理
最適化原理:人々は実行可能な範囲の中から最も望ましいパターンの消費を選択する
ミクロ経済学は、人類が、無数の選択肢の中から合理的に最も効用の最大化される選択肢を選ぶ能力があることを前提としている
均衡原理:財の価格は需要量と供給量とが等しくなるまで調整される
選択の最適化問題の不可能性
最適な選択を計算するという行為自体が資源の状況を変化させ最適解も変化するため、再度の計算が必要となる
このため、完璧な選択の最適化のためには、無限の計算が必要になる
世界の再魔術化
17世紀、デカルトとニュートンのパラダイム成立によって、世界から魔術が失われた。 貨幣による資本主義と合理的な科学思考によってできあがった近代的な世界。 魔術は科学に置き換えられてしまった。しかし、科学的に再編成される過程で色あせていったパワフルな知を取り戻すために、今こそ「世界の再魔術化」が必要だ! AIも魔法みたいなものと俺も思ってますtkgshn.icon
レンマ学
https://www.youtube.com/watch?v=R-805Nr-LTQ
上部旧石器時代に、人類の脳組織が現在の我々のものと同じ「ホモサピエンス」としての構造をもつにいたったとき、人類はアナロジー(喩)を組み込んだ言語と、絵画的表現能力と、音階の構造をもつ音楽をおこなう能力を獲得した。いわば、ホモサピエンスは芸術をおこなう能力とともに出現したと言える。 アナロジーは異なる意味領域の重ね合わせによってなりたつ。それ以前の人類は単語を統辞法にしたがって並べる「ロゴス的」な言語を使用していたのにたいして、アナロジー的な言語は詩的表現をおこなう能力を、ホモサピエンスにもたらした。詩的表現では単語と単語は喩によって結び合い、音の響き合いによって部分と全体が共鳴現象を起こす。このような構造をもつアナロジー言語をホモサピエンスは使用しだした。このことは、人類の言語の基底には詩的、音楽的な本質が埋め込まれていることをしめしている。「音楽的言語」をしゃべることによって、ホモサピエンスは生まれたわけである。 ヨーロッパ考古学の例がしめすように、ホモサピエンスは洞窟の中で儀礼をおこなった。広い、真っ暗な空間の中で、岩の壁面に絵を描き、合唱をおこなったことが推測されている。洞窟内部での音楽的発声は、自然倍音の現象を起こす。この倍音相互の間に、アナロジー能力をもつ知性は「同一性」を発見できるようになっている。基音のDoと一オクターブ高い倍音のDoが、「同じ音」であることを発見するのだ。すると基音から四度離れた音、五度離れた音が認識され、自然なかたちの五度音階が生まれる。ここから鳥たちのおこなう音楽と異なる、ホモサピエンスの音楽に特有の「音階」が生まれる。アナロジー構造を備えた言語の能力からは、音楽が自然なかたちで発生できる。
それと同時に、驚くべき完成度の高さをもった絵画表現が可能になっている。走るバイソンの姿などを描いた絵画には、対象を直感的かつ全体的に把握する知的能力がしめされている。直感的にとらえた対象の全体を、岩の壁面のような「平面上」に射影して、一方向から見られた動物の姿を描写できる。また逆に射影された部分的な情報から、想像力の中で全体像が再現できるようになっている。
ホモサピエンスは芸術的能力をもって出現した。その脳においては、線形的な「ロゴス」的能力と、全体的な把握をおこなう「レンマ」的能力が組み合わされた複論理(バイロジック)が作動している。この事実は近代(現代)人のおこなう芸術活動の本質をも決めている。未来における科学と芸術の関係は、この事実を抜きにして語ることはできない。
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