演繹と帰納
高校の現代文やビジネス界隈で使われている定義が、現代の論理学や科学哲学では誰も採用していないものになってて面白い。
演繹を「一般命題から個別命題を導く推論」、帰納をその逆とする定義は今は使われていない。詳しくは伊勢田哲治さんのサーベイを参照のこと 古い演繹の定義はいくらか問題を抱えている。例えば以下の古典的な三段論法の例も伝統的な演繹の定義から漏れてしまう
人間はみな死ぬ
ソクラテスは人間だ
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ソクラテスは死ぬ
結論は個別的命題であるし、前提の2つ目も個別的命題。ここでの一般/個別の定義はよくわからんのだけど
また、これもおそらく漏れる例
$ \forall n \in \mathbb N P(n) \rightarrow Q(n)
$ \forall n \in \mathbb N Q(n) \rightarrow R(n)
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$ \forall n \in \mathbb N P(n) \rightarrow R(n)
結論において個別性が高まっているとはいえなさそう。
現代の論理学や科学哲学では、演繹は「前提が全て真ならば、結論もかならず真である」推論と定義され、帰納は「前提が全て真なら、結論が真である可能性が高く、演繹的でないもの」と定義される。伊勢田さんのサーベイでも紹介されているし、『論証の教室(入門編)』も同じ定義を用いている。
現代的な定義では一般/個別という観点は排除され、代わりに「真理保存的か否か」に焦点が当たっているように見える。まあ前者の分類だと漏れるものが多すぎるというのも変化した理由の一つなんだろう