「ロジカル」
ビジネスシーンや自己啓発の文脈で聞こえてくる「ロジカル」って何だろうか。
インターネットの住民は小泉進次郎が大好きで、「進次郎構文」などと呼んでネタにしているが、彼の発言はある意味とても「ロジカル」だ。正確さに欠ける言い方だが、「AならばA」のような常に真になる命題、論理学ではこれを「トートロジー」と呼ぶ。小泉進次郎の発言にはこうした類のものが多い。だが、彼を「ロジカル」と呼んで賞賛する人を見たことはない。
あまりに自明な推論は「ロジカル」ではないようだ。「何か新しい情報を運ぶ」ことは「ロジカル」の一要件なのだろうか。
また、「事実に基づいて判断する」ことも求められているように思う。「ロジカル」はしばしば「感情的」と対比される。「女性は感情で物事を決めるのに対し男性は客観的に判断する」という典型的な差別言説はいい例だ。感情に基づいた判断は未熟さの証左で、客観的事実に基づき冷静に判断することが良しとされる(そこに「客観」に対する反省は全く欠如しているように思われるが)。近年、「エビデンス」という言葉をよく耳にするようになった。あらゆる判断に「エビデンス」を求めるのも同じ考え方に根ざしているのだろう。
もちろん、自明な推論を仰々しく語ることに意味はないし、可能ならば事実に基づいて判断すべきだろうが、それをして「ロジカル」とするのは、筆者の私的な交友関係の中で見聞きする「ロジカル」の用法といささか乖離がある。筆者は多少論理学をかじっており、周囲には同じく論理学を学び、さらに哲学に類される学問を専門とする友人が多い(権威に頼る論法っぽくなってしまうが)。
筆者は、そもそも人や判断を修飾するかたちで「ロジカル」を使うことはほぼない。少なくとも筆者にとっては、自明な推論も「ロジカル」なので、「ロジカル」であること自体を賞賛する気持ちは全く芽生えない。また、例えば「Aという主張をするとBを含意してしまうよね」といったようなツッコミは周囲では見聞きするし、これはある意味とても「ロジカル」だと思うが、ビジネスシーンで出会ったことは今のところ一度もない。
このように考えているので、世間でいう「ロジカル」にはややアイロニカルな態度を取ってしまう。