能力への欲望、渇望
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瞑想に関するブッダの教えは、あまりにも理解されることがなく、誤解された結果、時間が経つに連れて瞑想法は堕落し、一種の儀式、陳腐なテクニックになり下ってしまった。多くの人は、他の人が持っていない「第三の目」のような精神的、神秘的能力を獲得するための瞑想やヨーガに興味を持っている。
こうした考えは、「精神的倒錯」に他ならない。
それはいつも、能力への欲望、渇望、である。
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(自分の記載)
かなり厳しい話。なにしろ、「あれがあればいいなあ」「これがあれば」と思い続けて手に入れてみて、飽きる。だめ。失望する。それをみせないために他の人から称賛を得ようとする。
あるいは、肉体。あるいは目や耳。。舌。。。分別できるように研ぎ澄ますことすら。。疲労を得るだけかも。
あるいは機械。。あるいは住宅。。同じようなものでもある。
。。。スピリチュアル、魔術、巫術、あるいは。。。或る種の医療や他の人が知らない漢方をしる、などということも同様に違いない。。
そしてそれを求めてしまう。。漫画。。小説。。。幻想譚。。。
上の本の話はお坊さんの話だから、「能力への渇望」と実に中庸に描かれているものの。。実態は、「力への欲望」だろう。
。。。。これらを意識するのは、辛いことであり、恥ずかしいことであり、また。。そのときのみっともなさに直面する。ご用心。