戒め サッレーカ・スッタ
戒め
1 それではチュンダよ、このように戒めるべきです。
他人は他者に害を与えるが、
我々は加害者にならないようにと戒めましょう
2 他人は殺生するが、
我々は殺生しないようにと戒めましょう
3.他人は与えられていないものを取るが、
我々は与えられていないものを取らないようにと戒めましょう
4 他人は性的な関係を持つが、
我々は性的な関係を持たないようにと戒めましょう。
5 他人は嘘をつくが、
我々は嘘をつかないようにと戒めましょう。
6.他人は陰口を言うが、
我々は陰口を言わないようにと戒めましょう。
7. 他人は暴言を吐くが
我々は暴言を吐かないようにと戒めましょう。
8.他人は無駄話をするが、
我々は無駄話をしないようにと戒めましょう。
9.他人は強欲になるが、
我々は強欲にならないようにと戒めましょう。
10.他人は激怒するが、
我々は激怒しないようにと戒めましょう。
11.他人は邪見を持つが、
我々は正見を持てるようにと戒めましょう。
12.他人は邪思唯するが、
我々は正思唯を持てるようにと戒めましょう。
13.他人は邪語をするが、
我々は正語を持てるようにと戒めましょう。
14.他人は邪業をするが
我々は正業をするようにと戒めましょう。
邪業
罪を犯すこと。
15.他人は邪命をするが、
我々は正命をするようにと戒めましょう。
邪命
罪を犯して生計を立てること
16.他人は邪精進をするが、
我々は正精進をするようにと戒めましょう。
邪精進
罪を犯すための努力
17.他人は邪念を持つが、
我々は正念をもてるようにと戒めましょう。
邪念
精神的な混乱、怒り、落ち込み、引きこもり、などを退きおこす思考、妄想
18.他人は邪定を育むが、
我々は正定を育むようにと戒めましょう。
邪定
悪いことをする時、我を忘れて集中すること。
19.他人は邪智者であるが
我々は正智者になれるようにと戒めましょう。
邪智者
生命は永遠である、すべては絶対者により創造された、生きることは極楽である、生きることは極苦である、などの本末顛倒の考えを持つ者。
20.他人は邪解脱を目指すが
我々は正解脱を目指すようにと戒めましょう。
邪解脱
天国での永遠の命を目指すこと、命は死で終了するので生きている間に手段を選ばず遊びほうけることを目指すこと、ありもしない魂の完全な浄化を目指すことなど。
21.他人はだれけと眠気に陥るが
我々はだらけと眠気を断ち切るようにと戒めましょう。
22.他人はよく混乱するが
我々は混乱しないようにと戒めましょう。
23.他人は懐疑的であるが、
我々は懐疑を断ち切るようにと戒めましょう。
24.他人は怒るが、
我々は怒らないようにと戒めましょう。
25.他人は恨むが、
我々は恨まないようにと戒めましょう。
26.他人は他者の徳を軽視するが、
我々は軽視しないようにと戒めましょう。
27.他人は張り合うが、
我々は張り合わないようにと戒めましょう。
28.他人は嫉妬するが、
我々は嫉妬しないようにと戒めましょう。
29.他人は物惜しみするが、
我々は物惜しみしないようにと戒めましょう。
30.他人は見栄を張るが、
我々は見栄を張らないようにと戒めましょう。
31.他人は善人ぶるが、
我々は善人ぶらないようにと戒めましょう。
32.他人は頑固であるが、
我々は頑固にならないようにと戒めましょう。
33.他人は高慢であるが、
我々は高慢にならないようにと戒めましょう。
34.他人は反抗的であるが、
我々は素直になるようにと戒めましょう。
35.他人は悪友とつきあうが、
我々は善友とつきあうようにと戒めましょう。
36.他人は怠るが、
我々は怠らないようにと戒めましょう。
37.他人は確信を持っていないが、
我々は確信を持つようにと戒めましょう。
38.他人は悪を恥じないが、
我々は悪を恥じるようにと戒めましょう。
39.他人は悪を怖れないが、
我々は悪を怖れるようにと戒めましょう。
40.他人は浅学であるが、
我々はよく学ぶようにと戒めましょう。
41.他人は怠けるが、
我々は励み精進するようにと戒めましょう。
42.他人は不注意であるが、
我々は気づきを絶やさないようにと戒めましょう。
43.他人は無智であるが、
我々は智慧が備わるようにと戒めましょう。
44.他人は自分の主観にとりつかれ、しがみつき、捨てられないでいるが、
我々は自分の主観にとらわれず、しがみつくことなく、簡単に捨てられるようにと戒めましょう。
削減経
サッレーカ・スッタ
どうやら鍛冶屋とはちがう方か
釈迦によって、サーリプッタ(舎利弗)の弟であるチュンダに対して、瞑想時における戒めが述べられる。世間(loka)で見られる様々な見解(ditti)について、釈迦が正智をもって遮断すべき44項目を説く。
たぶん。。この「戒め」は即座に効果があるだろうかと
ただ、それを「そう」受け取れない場合にはいろいろ勉強して信を確立しないといけないところはあるかと
いろいろでてきちゃうでしょ
たとえば。。最初の「それではチュンダよ、このように戒めるべきです」て。。
チュンダ?あの最後の食の布施をされた鍛冶の方の?て。。。
どうやら鍛冶屋とはちがう方か
釈迦によって、サーリプッタ(舎利弗)の弟であるチュンダに対して、瞑想時における戒めが述べられる。世間(loka)で見られる様々な見解(ditti)について、釈迦が正智をもって遮断すべき44項目を説く。
この「戒め」というのはとんでもないお経だった
「「みんながやっているから私もやります」と、悪いことを正当化します。「誰
もやっていないんだから私もやりません」と、善いことをしないために言い訳
をします。これが世の中の普通の生き方です。」