心
理屈上は、テーラワーダ、「心の中はどうなってるの?」で、「心を発見してみましょう」と、やらなければならないが。。
一気に。みっつ。
ひとつめ。
「教えのかなめは心を修めることにある」最後の教え 仏教聖典
。。。納得してしまう。
それができるならそれでいいですが。。ここで大部分。。「心とは何か」とか考え出しておわってしまう。いわれてるところはそうではないわけだ、心を修めることなのだ、と納得してしまう。
そのまま、「念じる」「アタマのなかで反芻してみる」とそれでいいわけですけど。。
まだはまるところはある。
ふたつめ。
意識は対象を認知しない、という点をはっきり理解せねばならない
無門関に同様の偈がある。「行者が真実識らぬのは」てやつ
さっと過ぎるのはいさかか不親切だが。。そういうもんか、ぐらいで過ぎておく。一生かかりかねないからです。
みっつめ。
「正しい心の統一とは、誤った目的を持たず、智慧を明らかにするために、心を正しく静めて心の統一をすることである。」仏教聖典
すると。。「誤った目的を持たず」とはどうすればいいのか。。て思うわけですが。。
。。。これもまた。。確認してるとけっこう大変ではある。。あっさり暫定的に、
safety,health,welferだとおもう。実現方法は、「危険を避ける」「空腹苦と満腹苦を避ける」「病のないのは第一の利」とやるもんだろうと,
safety,health,welferとしておく。
これの3つ目「病のないのは第一の利」とやっておけば同時に1234とあるわけです。その「楽しみ」で、「智慧を明らかにするために」と移行することは簡単になる。
それから「心の中はどうなってるの?」「大念住経」あるいは他の方法。。など。
で、ここでは。。ちょっとそれはあぶないところもあるので
こうした