和英対照仏教聖典
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翻訳がむずかしくて、おれでもこれ英語読めないんだよ
P251
「ある人が、「夜は煙って、昼は燃える蟻塚。」を見つけた。ある賢者にそのことを語ると、「では剣をとって深く掘り進め」~
~最後に龍が出た。
賢者にそのことを語ると、「それらのものをみな捨てよ。ただ龍のみをそのままにしておけ。龍を妨げるな。」と教えた。
これはたとえである。~」仏教聖典
「思うこと修めることがなければ、耳に聞いても身につけることはできない」和英対照仏教聖典 P345
P21
「教えのかなめは心を修めることにある」最後の教え 仏教聖典
P331
「正しい心の統一とは、誤った目的を持たず、智慧を明らかにするために、心を正しく静めて心の統一をすることである。」仏教聖典
「起きるときのことをよく考えて静かに眠り」仏教聖典 P389
10月30日
「昔、長災王という王があった。」和英対照仏教聖典 P489
歴史
「このとき、悪魔は早くも太子につきまとった。「宮殿に帰るがいい。時を待つがいい。この世界はすべておまえのものだ。」太子は叱咤した。「悪魔よ、去れ。すべて地上のものは、わたしの求めるところではないのだ。太子は悪魔を追い払い、髪をそり、食を乞いつつ南方に下った。」仏教聖典(日本の)
閻魔王 仏教聖典
「おまえは死を警め告げる天使に会いながら、死を思わず善をなすことを怠って、この報いを受けることになった。おまえ自身のしたことは、おまえ自身がその報いをうけなければならない」
P189
「この世の人々は、人情が薄く、親しみ愛することを知らない。しかも、つまらないことを争いあい、激しい悪と苦しみの中にあって、それぞれの仕事を勤めて、ようやく、その日を過ごしている。」
P191
「またこの世には5つの悪がある」
「あらゆる人から地に這う虫まで、すべてみな互いにいがみあい、強いものは弱いものを倒し、弱いものは強いものを欺き、互いに傷つけあい、いがみあっている。」
「親子、兄弟、夫婦、親族など、すべてそれぞれおのれの道がなく、守るところもない。ただ、おのれを中心にして欲をほしいままにし、互いに欺きあい、心と口とが別々になっていて誠がない。」
「誰も彼もみなよこしまな思いを抱き、みだらな思いに心をこがし、男女の間に道がなく、そのために、徒党を組んで争い戦い、常に非道を重ねている。」
「互いに善い行為をすることを考えず、ともに教えあって悪い行為をし、偽り、むだ口、悪口、二枚舌を使って互いに傷つけあっている。」
「すべてのものは怠りなまけて、善い行為をすることさえ知らず、恩も知らず、義務も知らず、ただ欲のままに動いて、他人に迷惑をかけ、ついには恐ろしい罪を犯すようになる。」
「世に母も子を救い得ず、子も母を救い得ない3つの場合がある。すなわち、大火災と大水害と大盗難のときである。しかし、この三つの場合においても、ときとしては、母と子が互いに助け合う機会がある。
ところがここに、母は子を絶対に救い得ず」和英対照仏教聖典 P185
「ところがここに、母は子を絶対に救い得ず、子も母を絶対に救い得ない三つの場合がある。それは老いの恐れと、病の恐れと、死の恐れとの襲い来たったときである。」
「こういう場合は絶対に助け合うことはできないのである。」仏教聖典
「ヒマラヤ山の南のふもとを流れるローヒニー河のほとりに、釈迦族の都、カピラヴァストゥがあった。」仏教聖典
「その日の太子の心はまことにたとえるものがないほどの悪戦苦闘であった。乱れ散る心、騒ぎ立つ思い、黒い心の影、醜い想いの姿、すべてそれは悪魔の襲来ともいうべきものであった。太子は心のすみずみまでそれらを追求して散々に裂き破った。まことに血は流れ、肉は飛び、骨は砕けるほどの苦闘であった。」
「しかし、その戦いも終わり、夜明けを迎えて明けの明星を仰いだとき、太子の心は光り輝き、さとりは開け、仏と成った。それは太子三十五歳の年の十二月八日のことであった。」仏教聖典
韓国語
フランス語
ロシア語
P111
「これと同じように、すべてのものは、みな「ある」ともいえず、「ない」ともいえない、幻のようなものである。」
「しかも、この幻のような世界を離れて、真実の世も永遠不変の世もないのであるから、この世を、仮のものと見るのも誤り、実の世と見るのも誤りである。」
「ところが、世の人々は、この誤りのもとは、この世の上にあると見ているが、この世がすでに幻とすれば、幻にはからう心があって、人に誤りを生じさせるはずがない。」
「誤りは、この道理を知らず、仮の世と考え、実の世と考える愚かな人の心に起こる。」
第1章 史上の仏
第一節 偉大な生涯
ヒマラヤ山の南のふもとを流れるローヒニー河のほとりに、釈迦族の都カピラヴァスツがあった。
P189
人はこの愛欲の世界に、ひとり生まれ、ひとり死ぬ。未来の報むくいは代わって受けてくれるものがなく、おのれひとりでそれに当たらなければならない。
和英対照仏教聖典
和英対照仏教聖典 P51
仏には三つの身(からだ)がそなわっている。一つには法身、ふたつには報身、三つには応身である。
世の中には四通りの婦人がある
スジャーターに言われた話
第一は人を殺すような妻
第二は盗人のような妻
第三は主人のような妻
第四は母のような妻
第五は妹のような妻
第六は友人のような妻
第七は奉仕するような妻
食物を入れる容器を手にして戸毎に食を乞うのは乞食の行ではあるが、それは他人に脅かされたためでもなく、他人に誘われ欺かれたためでもない。
ただこの世のあらゆる苦しみを免れ、迷いを離れる道がここで教えられることを信じてなったのである。
It is a beggar's act to go door to door with a container of food in hand, but it is not because someone threatens him or because he is tempted or deceived.
I have believe that here I am taught the way to escape from all the sufferings of this world and to get rid of confusion.
和英対照仏教聖典 P387
家のためにわが身を忘れ、村のためにわが家を忘れ、国のために村をも忘れ、さとりのためにはすべてを忘れよ
和英対照仏教聖典 P381
スジャーターよ、世には七種の妻がある。
第一は、人を殺すような妻で
第二は、盗人のような妻で
第三は、主人のような妻で
仏教聖典 P447
アームラパーリーは、ヴァイシャーリーにいる名高い美女であった。
仏教聖典 P449
八正道は、正しいものの見方、正しいものの考え方、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい念い(おもい)、正しい心の統一である
P329
P109
@lib2015blog: まことに夜は夢のようであり、財宝もまた幻のようなものである。絵にみえる遠近と同じく、見えるけれども、あるのではない。すべては陽炎のようなものである。 仏教聖典
P437
自分ひとりのものと考えて自分ひとりのために費やしてはならない。
その幾分かは他人のためにこれを分かち、その幾分かはたくわえて不時の用にそなえ、また国家のため、社会のため、教えのために用いられることを喜ばなければならない。
「他人のためにこれを分かち :消費支出、投資
たくわえて不時の用にそなえ:貯蓄
また国家のため、社会のため、教えのため:社会保障費、布施少々
お釈迦様やっとできました。」
仏教聖典
この人間世界は苦しみに満ちている。
仏教聖典 P75
わが愚かさを悲しむ人あり。この人すでに愚者にあらず。自らを知らずして賢しと称するは愚中の愚なり。
法句経
怨みは怨みによって果たされず。忍を行じてのみ、よく怨みを解くことを得る。これ不変の真理なり。
法句経
P75
このような欲望は、生に対する激しい執着をもととしていて、見るもの聞くものを欲しがる欲望となる。また転じて、死をさえ願うようにもなる。
これを苦しみの原因(集諦 じったい)という。
この煩悩の根本を残りなく滅ぼし尽くし、すべての執着を離れれば人間の苦しみもなくなる。
これを苦しみを滅ぼす真理(滅諦)という。
仏教聖典
我があると考えるのは、ないものをあると考える、さかさまの味方であり、仏性を認めないことも、あるものをないと考える、さかさまの見方である。
和英対照仏教聖典 P151