倉下忠憲「Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~」
●この文章は、今週分の「Weekly R-style Magazine」第403号の感想が、基本です。以下、書いてあることの目次を箇条書きさせていただきます。(更新 2018/07/02)
目次
・はじめに(ご挨拶、当方の自己紹介)
・倉下忠憲氏の著作の読書歴(ファンレター)
・「Weekly R-style Magazine」感想、特に「~新規性のない情報~」について
●はじめに
はじめまして。ハンドルネームを残田響一(ざんだ・きょういち)と申します。
わたしは、インターネット上で、同人(インディーズ)小説テキスト作成や、オリジナル曲の作曲活動を行っておりまして、その際に「知的生産」「ライフハック」のメソッドを、積極的に導入しようとしています。そういう文脈で、倉下さんの文章を愛読しています。
R-Styleの毎日の更新を、楽しみに拝読しています。また、毎週のメルマガ「Weekly R-style Magazine」(WRM)も、一年半前(第325号のあたり)から購読させて頂いております。今週も、月曜日の更新&配信、お疲れ様でした。
前々から倉下さんの文章を読んでいて、どこかで「愛読しています!参考にさせてもらっています」という反応を表したかったのですが、かれこれ長らく倉下さんの文章を読んでいて、書きたいことがずいぶんと貯まってしまいました。それを、当方のHP/ブログで書くか、Twitterの ♯WRM感想 タグで書くか……と、様々に考えました。そこで、この「本の感想箱」プロジェクトを拝見し、これは『Scrapbox情報整理術』に対しての、リアルで実地な反映になりはしないだろうか?と勝手に考えまして、このプロジェクトを使わせて頂いた次第です。
現在、倉下さんは『Scrapbox情報整理術』のゲラチェックで、大変お忙しいのですから、この記事に対する、当方への御返信は、わたしは特に求めてはおりません。ゲラチェックの合間に、何かしら倉下さんの精神にとっての、善い意味での「賑やかし」になれば良いなぁ、と願うばかりです。
『Scrapbox情報整理術』、Amazonで予約注文しました。後述しますが、わたしは倉下さんの文章でもって、「自分のオリジナル創作の管理に、Scrapboxを徹底的に活用する」方向に舵をとりました。倉下さんの文章がどれほど役に立っているか。よって、この度の予約購入はごく当然のことです。とても楽しみにしています。ゲラチェック、頑張ってください。
●倉下忠憲氏の著作の読書歴
自分がこれまで読んだ倉下さんの御著作ですが、まず、箇条書きにリストアップしてみます。
・R-style
・WRM(1年半くらい)
・honkure
・シゴタノ!連載
・これから本を書く人への手紙
・ゼロから始めるセルパブ戦略
・タスク管理の用語集
・ブログを10年続けて、僕が考えたこと
・「目標」の研究
・かーそる(2冊とも)
基本的に自分の場合は、「R-styleやWRMの記事をまず読み、そこから導線となって紹介されている(思考がより深まっていっている)御著作に挑む」という流れのようです。
どれも、とても愛読しております。その全部についてひとつづつコメントをしていきたい気持ちはやまやまですが、さすがにそれでは記事が10000字コースになってしまう極道なので(大変失礼ですね)、まず今日の段階では、
「まだまだ倉下さんの思考・知的生産のすべてを把握は出来ていませんが、毎日の更新、著作の執筆を楽しみにしています」という表明を、書かせてください。つまりファンレターです。正直、以上のように軽口を叩いておりますが、その実、こうやってファンレターを送るのに、かなり緊張をしております。
『Scrapbox情報整理術』についてなのですが、自分は先日から、Scrapboxを、自分の創作/知的生産に導入することにしました。それは「一部」でなく、「全部」において、です。
自分は、オリジナル・ファンタジー創作を行っています。言い出しっぺ(企画)は自分で、イラストを担当してくれている相方と共に、インターネット上と、同人即売会で活動をしております。自分の担当は、「テキスト/web管理」と「音楽」です。
さて、そのweb管理ですが、いにしえのHTMLタグ打ちHPにこだわっていました。Wordpressに代表されるブログタイプCMSシステムが「自分には」どうも肌に合わず、というところでして。
しかし、お察しのように、いちいちHTMLタグ打ち&FTPアップロードでHPを更新していくのは、やりがいはあっても、やはり面倒。そしてその面倒さが、更新のフレキシビリティの足を引っ張ります。何か自分に合うものはないか……と思っていて、長く探し。もう諦めようか、と思っていたところで、改めて倉下さんの紹介するScrapBoxに出会いました。
「これだ……これだよ!」
自分の創作スタイルは、改めて思えば、とても「情報カード(断片からの創造)」的であったのです。ほとんど自分のために拵えてくれたのではないか、と錯覚するくらいに、ScrapBoxが、なじむのです。
きわめてボトムアップでありながら、リンク生成機能による導線作成は、トップダウンのコンテンツ配列を可能とする(それすなわち「編集的創作(コラージュ的)」であります)。動作も快適で、クラウドベースのwiki的でありながら、インターフェイスの和やかさ・柔らかさが、とても肌に合う。
もっとScrapBoxを使っていきたい。そこで、倉下さんの新刊でもって、もっともっと学んでいきたい。そう、強く願っております。このタイミングでの発刊というのにも、運命的なものを感じてしまいます(笑)
……正直、ScrapBoxに出会う直前まで、自分のライフサイクルにおいて、「創作」という営為が上手くかみ合わない日々を過ごしていました。腐っていました。 毎日の仕事の忙しさにかまけていると、つい趣味のwebコーディングというのが、後回しになってしまいます。自分が一番したいことなのに……。上手く創作システム(ライフサイクルの中における、より良き生産システム)さえ組めれば、と願っていました。
(このあたり、Tak.さんの新刊『アウトライン・プロセッシングLIFE アウトライナーで書く「生活」と「人生」』の序盤で書かれていた、アウトライナーに出会うまでのTak.さんの「うまくタスク管理システムが、人生(LIFE)の中で作動しない……」という苦悩の逡巡に通じるものがありました)
なので、Scrapboxは救世主であり、それを紹介してくださった倉下さんには、御礼を申し上げます。新刊、楽しみにしています。WRMにおける「執筆のこぼれ話(蜂蜜に蟻がたかるほどの)」も、また。
●#情報摂取の作法「~新規性のない情報~」について
今回倉下さんがWRMで書かれていたことで、ずいぶん前から自分が「知的生産に基づく、ガジェット/ツールレビュー」における、何かしらのうっすらした、しかし根強い疑問が、可視化されました。今回のこの記事は、これを相当書きたく。
ーー目新しいツールの情報と、Twitterのように「ありふれた」ツールの情報ならば、ブロガーは前者の発信に心惹かれます(私も似たようなものです)。よって「使い慣れきったツールの使い方」の情報は世に出てきません。あるいは出てくるにせよ、注目は集めません。(引用
テキスト執筆専門マシン「Pomera」(ポメラ)の話をします。それも、一年前のPomera DM200の。
今、この記事は、実際、DM200で書いているのですが、この機種DM200は、Pomeraのハイエンド・フラッグシップ(最高級)機種として発表・発売されました。発売当初、4万円越え。今でも3万を切ることはほぼありません(ヤフオク除く。それでも2万コース)DM200が出たとき、いっせいにガジェット・レビュー系ブロガーは、これに群がりました。基本的に「褒め」調子でした。こんなに凄いテキスト執筆専用マシンがあるなんて!という。
従来からのPomeraユーザたるわたしにとってみれば、この「DM200の盛り上がり」は、基本的には好ましいものでした。なにせわたしはPomeraのヘビーユーザなので、Pomeraが褒められれば嬉しい。
ただし。
そのワイワイした「褒め」調子の、発売当時のレビュー。そこに一抹の「……?」という、うっすらした疑問があったのも事実で。
「この人たち、Pomeraを面白がってるけど、Pomeraを実際にずーっと使い続けてる人は、あまり居なさそうだな」
と、半ば直感的に思ってしまったのです。
偏見かもしれません。もちろん、「発売当初」の記事群なのですから、「ずーっと使い続ける」というのがまだ不透明なのは、わかります。でも、DM200を取り上げたブログの多くが、DM200を面白がりはしても、DM200を「愛用し続け」はしないように、見えた。あるブログに至っては、「やっぱり合わなかったから売りました」という記述すら。
目新しいツール、ガジェット、メソッド、ライフハック。そういったものにみんな集まって、いろんな記事が生まれます。「開封の儀」「使ってみてのファーストインプレッション」……。
知見自体は、蓄積はします。でも、それは「試し」の域を超えていない、というのが、多かった。
愛とは、持続性から生まれるものなのだと思います。まして「偏愛」とは、まさしく持続性そのものです。持続性なき愛は……「好き」のすごい版かもしれないけれど、でもやはり、愛ではない。
自分は、Pomeraを偏愛しているからこそ、いろんなブロガーのPomeraに対する偏愛を見たかった。偏愛、それは倉下さんの言葉を借りるなら「使い慣れきったツール」にまつわる、愛憎とも云うべきもの。
例えば、旧来のPomeraユーザは、Pomeraを使う上において「調教」ということをします。Pomeraの日本語辞書機能は、旧来貧弱なものでした。だから、各ユーザの頻出単語を、いちいち自分で辞書登録する必要がありました。Pomeraライトユーザは「めんどくせ!」と口をそろえていいます。しかしPomeraヘビーユーザ(「ポメラニアン」)は、「めんどくせ」と良いながらも、確実に自分の作った辞書に、誇りをたたえた笑みでもって楽しげに語っていました。これがPomera道なんだよ、とでも云わんばかり、です。
そういった屈託というか、偏愛というか。そういうのを、見たかった。
こういうことは、実は「知的生産」界隈の言説でも、見られることです。新しいツールを試してみました!新しいライフハックのこういう所がいいね!とか。こういう「実験的先進性」が知的生産の一つのあり方なのだ、というように。
これは「反動」と言われる覚悟で言いますが、各種新規ツール/ガジェット、新規ライフハック、新規webサービスなどのファーストインプレッション的感想は、少し抑制した方が良いのかもしれない、と思うようになっているのが、最近の自分だったりします。
それよりは、ガンガンに使いまくって、使いこなしていったあとの「屈託」「偏愛」こそが、真に滋養ある知的生産の成果物……に近いものなのではないか、と思うのです。成果物、というのが言い過ぎだとしたら……そうですね、変な例えになるのですが……それは、鰹節や昆布で時間をかけて、しっかりした一番出汁をとった後の、出がらしの鰹節や昆布、といったものへの愛情。屈託すら、語るのが楽しい。
梅棹氏が情報カードを語るにおいて、「結果的に残ったもの・やり方」であった(過去形)、ということは、もっと語られてもよいと思うのです。時間のカサと経過、そしてどれだけそのメソッドが、個々人のLIFEを確かに良きものにしたか、という「過去形の実証」がない限り、ツール語りというのは空理空論に堕してしまう可能性が、常にあるのではないか、というのが、わたしが言いたいことです。
そして、当然ながらそんな「過去形の実証」なんてものは、早々には生まれないのです。手間のかかること一点を云々するとしたら、売れ線ブロガー達にとってはコスパが悪いでしょう。
しかし、自分は、Pomeraの「調教」について語りたいのです。Pomeraの打鍵補助パーツを、長年の打鍵によってブッ壊してしまったことについて語りたい。昔のPomeraは長く打鍵してると、キーがベタベタしてくることも語りたい。そして、「そういうところ(LIFE)」こそが、本当に知的生産、知的生活だ、っていうふうに思ってやまないのです(それを叶えてくれるメディアの筆頭が「かーそる」だと思っています)
そんなことを、今回のWRMを読んで考えました。だから自分は、まだScrapBoxについては語れないのです。そして使いまくっておられる倉下さんだからこそ、今回の新刊が書けるのです。
(以上の話って、ただ単に「リアリティ」を巡る話なだけなんじゃないの?って抽象化すると、とたんにつまらなくなりますね!)
以上、2018/07/02 投稿