サンユッタニカーヤ 女神との対話 第一巻
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4 時間という津波ーときの流れとは破壊の流れ
自然に感謝する?怯える?
理由が成り立たない存在欲
悲観主義者は世間?仏教?
仏教の弁明
全能の神は時間です
時間は破壊者です
時間には対抗できません
愚か者が死に怯える
あるも無いも苦
功徳を積んでも苦は消えません
智者は執着を捨てる
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聖なる道を閉ざす障害
惰眠経(相応部 1.16)
眠気、だるさ、あくび
退屈、食後の倦怠感
ーという原因で、生命に聖なる道が現れない
眠気、だるさ、あくび
退屈、食後の倦怠感
ーという障害を精進で乗り越えれば
解脱への道が現れる
修行を始めても、眠気の攻撃が入ります。仕方がないと思って寝ても、問題は解決しません。心が修行したくないのです。それは自分の心です。自分の心が自分の邪魔をしているのです。
サンユッタニカーヤ 第一巻 説明
食後の倦怠感
カフェイン、タンニン、ニコチンなどの刺激物を身体に入れる癖は、食後の倦怠感を解決するためです。しかし、それでまた身体が壊れるのです。
退屈
何事に対しても、面白くない、つまらない、というアプローチでかかる人々もいます。その人々は何事も成功しません。それらのアプローチは、怒りの煩悩の働きです。
だからといって無理矢理、ポジティブアプローチをすることもよくないのです。
あくび
身体と脳の機能が鈍くなっているのだ、と理解したほうがよいのです。
ポイント
悪の道はスムーズに進む
善の道には障害がある
成功・達成とは障害を乗り越えることです
自分を襲う悪魔は自分自身である。
サンユッタニカーヤ 説明
達したい思っている目的しか眼中にない場合は、成功しない確率が非情に高くなります。
~
唯一正しい目的を目指しているのだ、と思ったならばその気持が怖い煩悩になるのです。自我を強化する足かせになるのです。
19生命にはマイホームが必ずある 束縛が存在を形成する
庵経 相応部
神いわく
「あなたに庵はないのですか?巣はないのですか?
つなぎの糸はないのですか?あなたは解脱しておられるのですか?」
尊師いわく
「たしかに、わたしには庵はありません。たしかに巣はありません。たしかにつなぎの糸はありません。わたしは束縛から解脱しているのです。」
それは、ブッダの対話術のなかで説明しているポイントです。
「二人の人間がおなじ単語を使って対話しても、意味はおなじなのか?」という疑問が生じるのです。
ブッダの答え
現代的な言葉に入れ替えれば、渇愛とは「生きていたい」という存在欲のことです。お釈迦様は自分には渇愛が無いと発表するのです
ポイント
人にはハウスはなくてもホームが必要です
生きることは何かに依存することで成り立ってます
人は母、家族、子孫に依存します。
輪廻転生の衝動は渇愛です。
渇愛を絶たない限り、生命に自由はありません。
自由への道 人は束縛されていることに気づかない
命の価値
俗世間の人々は、苦を楽しんで生きています。しかし、そのことに気づいていないのです。
サンユッタニカーや P63
人間に限らず、すべての生命は「何か」を探しているのです。しかし、「それは何なのか?」と訊いてみてもよく分からない。分からないものを探しても、見つかるはずがありません。
でも、何か欠けていることだけは感じています。~だから、何とかしなくてはいけないのです。
探しても無駄です。
P68
苦を楽しむ ずるい解決方法
苦がつくる楽の幻想
執着
生命は生きることに執着しているのです。
束縛、執着が心にあるかぎり、人はいろいろなものを希望し、いろいろなものに期待し続けます。
P69
これは極端な例をあげるしかないのですが。。
死病のときもちろんだが自分はそれを知らないが「やゔぁい」と思っている。
だから「生きよう」とするわけですが、手も足もでない。どころかさらに悪くなりそうだ
ということでその「生きる」を捨てたところで平静になれる
あとは何度も書いてるので
そうであっても。。執着はなくならない、というところを長老が話されてる
命はそれほどみじめなのに、「生きていきたい」という執着はなくならないのです。ですから生きるという問題の答えは明白です。執着を根絶することです。
P70
「捨てなさい」と仰ってるのは五上分結です。在家でも不還果の聖者になれます。その場合、欲と怒りがありませんので、出家と同じ生活をすることになります。
サンユッタニカーヤ 女神との対話
束縛・執着が心にある限り、人はいろいろなものを期待し、いろいろなものに期待し続けます。
そのために、お祈りをしたり、災難除けの御札を貼ったり開運グッズを買いまくって身につけたり、または部屋に飾ったり、占い師のお世話になったりするのです。
執着とは酷いものです。いくら苦しくなっても、「生きろ、生きろ」と執着が命令するのです。
仏道実戦の過程で、この束縛の束を四回斬ります。すると四回目で完全に切断されます。
ゆえに、解脱には預流果、一来果、不還果、阿羅漢果という四段階があるのです。
サンユッタニカーヤ 女神との対話 P071