長谷川白紙
歌によって接着する とは、歌に合うように全てのパートを編曲すれば、一見各パート同士が合ってないように聴こえても歌を介して接続され、大きい歌を支える多くの梁となって歌の形に沿って響く
imdkm
どういう種類のズラし方か、その方向にどの程度逸脱するか
ベルトルみたいに向きと強さがある
伝わるギリギリのウケる感覚が作詞に活きる
大喜利の空気読みとかはメタ逸脱が繰り返されてて、現代詩も同じ構造を持ってたりする
サツマカワ
枠組みを裏切る
前提のチョイスとエネルギー
落差のエネルギー?
お笑いのズラしのコントロールを抽象構造に一般化するの難しすぎる
逸脱の方向
!ネタツイが歌詞につながる感覚ってそれかも
実験音楽にウケのバランスを導入してるみたいだ
曲のディレクション
参考
@hsgwhks: とても大きな質量を持った怒りと絶望があり、でもわたしがやれることは変わらず音楽しかないので思考と実践を繰り返すのみですが、反面このような決断が表現を生業とする方々、そしてそれに関わるすべての関係者の方の美徳として理解され都合よく利用されることがないように願っています。