行き当たりばったり性
一連の読書感想文をTwitterに書いたのでそれのログ。
"Cinema4Dは確かに直感的で安定していてアニメーション作りにも向いているのだけど、ノードベースUIによる造作の自由度が粘土だとすれば、Cinema4DのMoGraphやDeformer同士の限られた組み合わせで表現できるそれは積み木程度に感じる。"
なるほどなぁ
"実際プリミティブオブジェクトの組み合わせで実現できるジオメトリックな造形に無意識に発想が引っ張られるので、耳小骨みたいなやつがスネア合わせでバカバカ現れるようにしよう! とか安直には考えつかなくなったりする。
ツール上の制約が結果としてディレクションに影響してくるのはわかる。 映像の構想を練るのは、やっぱり脳から近い媒体で行うべきだと思うことが多い。
できるだけアナログで直感的にアウトプットできるもの。紙とペンとか。
しかしアナログ媒体にも制約はあるから、ある程度やりたいことが固まってきたらデジタルに移して、構想の純度が高い状態のまま完成まで持っていきたい。
目的を持たずにツールを扱うと、手段が目的化してしまい「ツールありきの表現」に無意識に引っ張られてしまう。
方眼紙に絵を描くとグリッドを意識した絵を描いてしまうように、直感的に扱える(と思い込んでいる)ツールほどその罠に嵌る可能性は高い。 さっきのノートの話だと、「グリッドに沿ったデザインを描く」とか事前に決めていた場合は自由帳よりも方眼紙の方にアドバンテージがあるように、ツールは目的に合わせて使うべき、という話。 ノートの話は直感的に分かることだから気を付ければ済むけど、特にデジタル媒体は「表面的には」アナログよりも自由度が高く見えるから、意識しないうちにツール上の制約に引っ張られる。
要は方眼紙よりも自由帳のほうがより脳に近いよねって話で、アイデア出しはなるべく自由に、身体の赴くままに描けるツールで行いたい。